2009年12月17日木曜日

クリスティン・キムさん

社会問題

   私は、近頃世界ではがんばるにもかかわらず、お金がない人よりお金がたくさんある人が成功するし便利な人生を送ると思います。それから、このことはますます特に韓国中で巨大な社会問題になったらしいです。どうやってでも変化が必要です。その理由として第一に、アメリカに来て勉強したら、とてもたくさんの知識を得れますから皆アメリカに来て勉強したいです。留学をした後に社会で色々なアドバンタージがあります。第二に、時々有名な大学はお金がたくさんある人がその大学にたくさんお金を寄付したらたらその人を受け入れることがあります。第三に、韓国の男の人は軍に行かなければいけません。それから、韓国ではKorean Augmentation Troops to the United States Army, KATUSA がありますから、この軍は留学生のためにあります。
まず、お金があるし、たくさんの学生は留学がすることができます。よくアメリカに来て勉強したら、とてもたくさんの知識を得れますから皆アメリカに来て勉強したいです。一番の理由は韓国人留学生は勉強が終わったら韓国に帰って留学しない人より就職しやすいです。たくさんの会社は留学をした人は留学をしなかった人より英語が上手だと思っていますから、よく留学をした人を探して選びます。それから、留学をしなかった人はとても勉強をするにもかかわらず、留学をした人に競争中に負けることがよく起こります。
次に、時々有名な大学はお金がたくさんある人がその大学にたくさんお金を上げたらその人を受け入れることがあります。どこの大学がするか示せませんですが、大部分の有名な大学がします。とても不公平です。大部分の有名な大学に入りたい学生はー小けんめい勉強しなければならないですから、たくさん勉強します。有名な大学に入れば、将来ー流の会社などに就職しやすいからです。でもお金がたくさんある人は大学にたくさんの寄付をすれば有名な大学に入りやすいです。同じ大学に違う方法で入ることは不公平だと思います。ある人々は本当に忍耐したら入るけど、ある人々はお金だけ使って入ったらとても不正です。
最後に、韓国の男の人は軍に行かなければいけません。韓国ではKorean Augmentation Troops to the United States Army, KATUSA があります。そして、この軍は留学生のためにあります。KATUSAは普通の軍と違います。KATUSAは普通の軍より訓練がしやすいです。ですから、留学をしなかった人もKATUSAに行きたい人がたくさんいます。その人は繋がりがあればやさしいに行けますが、繋がりがありませんからTOEFLを取ってとても高い得点を取らなければいけません。ですから、よく留学をしなかった人は留学をした人より厳しい軍生活をします。 私は、近頃世界ではがんばるにもかかわらず、お金がない人よりお金がたくさんある人が成功するし便利な人生を送ると思います。それから、このことはますます特に韓国中で巨大な社会問題になったらしいです。お金がたくさんある人は留学をして就業しやすいし、有名な大学に入れるし、やさしい軍生活を送れできます。このことはとても不公平です。変化が必要です。近頃世界ではがんばるにもかかわらず、お金がない人よりお金がたくさんある人が成功するし便利な人生を送ることはとても不公平だと思います。

2009年12月16日水曜日

ブリジット・コリンズさん

政府のヘルスケア

   最近、アメリカの政府はヘルスケアの法案を可決しようとしてきました。このヘルスケアの法案は人に健康保険の為に保険の会社に払うことを止めさせます。この法案はとてもすてきそうですが、たくさんの人は保険の会社に払いつづけるの方がいいと思います。政府のヘルスケアはいいものと悪いものがあるが、私は政府のヘルスケアを使うべきだと言う意見があります。この作文で、私は三点の話すことがあります。最初に、今持っている健康保険より政府のヘルスケアの方が安いです。次に、政府のヘルスケアはほかの国でうまく行きました。最後に、政府のヘルスケアはもっと便利だろうと思います。
   最初に、保険の会社の健康保険は今高すぎると思います。健康保険が高すぎるの理由は会社がお金をかせがなければならないと言う理由です。保険の会社はお金をかせぐ為に、保険の会社の顧客に保険の会社がたくさんお金を払わせられます。でも、政府は会社ではないから、たくさんお金をかせがなくてもいいです。これから、税金は増えても、人は一般的に健康保険の為にあまり払わなくてもいいです。誰もが保険の会社にたくさんお金を払うのが好きじゃないんだから、私は政府のヘルスケアがとてもよくて安くて便利なソリューションだと思います。
   次に、政府のヘルスケアはほかの国でよくうまく行きました。「薬の研究所」によると、工業化していた国の中で、アメリカだけ政府のヘルスケアを使っていないそうです。政府のヘルスケアは種類が多いです。たとえば、イギリスで、政府はヘルスケアをよくする為に、たくさんの時間をついやしますが、カナダでは、政府と保険の会社の二つのレベルのシステムを使います。日本も政府のヘルスケアがあります。日本はカナダのシステムのようなシステムがあります。日本のシステムで、働いている会社から保険をもらわない人が政府にヘルスケアをもらえます。それに、医者と病院を患者が選べます。政府のヘルスケアはほかの国でうまく行っているから、アメリカでもうまく行くんじゃないんでしょうか。
   最後に、私は保険の会社に払うのことより政府のヘルスケアの方が便利だろうと思います。たくさんのアメリカ人は政府のヘルスケアがあれば、自分の医者に見てもらえないと考えるらしい。ひにくに、人は保険の会社にどの医者に見られかを言われます。政府のヘルスケアがあれば、政府は健康保険をコントロールするが、そうかと言って患者がどの医者に見てもらうかコントロールするわけではありません。政府のヘルスケアがあれば、皆が健康保険をもらって、健康の問題がある時、医者に見てもらえます。これはとても便利なんじゃないんでしょうか。
   私はアメリカで政府のヘルスケアを使うべきだと思います。政府のヘルスケアはとても便利だし、ほかの国でよくうまく行っているし、それに、保険の会社の健康保険より政府のヘルスケアの方が安いです。人は保険の会社にたくさんお金を払いたくないから、政府のヘルスケアがあれば、保険の会社に払わないで済みます。私は皆がヘルスケアと健康保険をもらえる国はいい場所だと思います。アメリカ人はいつのまにか政府のヘルスケアで生活になれるでしょうと思います。

ティファニー・ジェンさん

社会問題:アメリカのひまん

   アメリカではふとっている人がたくさんいます。世界中でアメリカで一番たくさんふとっている人がいます。だれもふとっている体はほしくないはずなのに、20年前から、ふとっている人は増えています。「Down to Earth」という記事によると、大人は60%増えているそうです。そして、ふとっている子供も増えています。理由は二つあります。まず、たくさんのアメリカ人は運動しません。そして、たくさんのアメリカ人は食べすぎています。ふとりすぎると、体の調子が悪くなります。これは一種の社会問題だと思います。
このごろ、アメリカ人はコンピュータやテレビの前に何時間もすわって、ゲームをしたり、テレビを見たりして、全然動かないし、全然外に出かけません。「Media Use and Obesity among Children」という記事によると、毎週、子供は8歳から18歳まで44.5時間ぐらいコンピュータやテレビの前にいるそうです。大学生も運動をする時間がありません。たくさん宿題やテストがあって、毎日勉強しなければならないので、体育館に行って運動する時間がないかもしれません。それで、コンピュータやテレビの前にすわればすわるほどふとるようになります。たくさんのアメリカの大学生は、大学に入った後で、ふとるようになります。これは、「フレッシュマン15」と言います。「Washington University in St. Louis」という記事によると、運動しないで、食生活が悪いので、70%の大学一年生と二年生の体重が変わるそうです。
次の理由は、大ぜいの人が食べすぎているという事です。「Down to Earth」という記事によると、30年前から、たくさんファーストフードレストランができました。それに、ファーストフードレストランは安くて、速くて、おいしくて、とても便利だから、たくさんの人はファーストフードレストランに行きます。それに、アメリカ人はビュッフェが大好きらしいです。ビュッフェに行く時、たくさん食べ物を食べないわけにはいかないらしいです。そして、よくスナックを食べます。たくさんジャンクフードやおかしやあぶらっこい物を食べて、ヘルシーフードを食べません。
そんな物ばかり食べて、運動しなければ、ふとりやすくなります。ひまんじょうたいになってしまうと、心臓病や糖尿病にかかるかもしれません。それに、この病気はだれも本当にほしくありません。いい体でいるために、運動をして、ヘルシーフードを食べなければなりません。時間がある時、なるべく体育館に行きます。時間がない時、クラスやスーパーや町まで歩くべきです。歩くのは運動だから、どこにも毎日歩くのがいいです。また、あまい物やあぶらっこい物を全然食べてはいけないというわけではありません。しかし、食べすぎないように注意した方がいいです。そして、果物や野菜などをたくさん食べるべきです。
   体は大切だと思います。ですので、もし食べすぎてしまったら、運動しなければならないと思います。そして、果物や野菜をたくさん食べた方がいいと思います。丈夫な体を持つと、ふとりにくくなると思います。

セイディー・スミスさん

ファイナルプロジェクットの作文ファナルドラフット

   今、世界でたくさんの国に男性と女性は同じけん利があります。それに、たくさんの国の社会では男性と女性の役わりが同じです。女性は大学や病院や学校や会社に勤めている人が多いです。その女性に家族があれば、家族が大切ですから、仕事と子供のことのバランスをするようです。今日、日本の社会の中では女性の役わりがちょっと変だと思います。日本の歴史に「家システム」と言う男性と女性の役わりシステムがあったし、日本人の考え方が古いんじゃないかと思います。そして、今日の日本で女性は会社に勤めたい時、差別があります。日本の社会では古い考え方と差別があるので、女性に色々な問題を起きています。日本のせいふは女性のけん利のためにプログラムを作りましたが、そうかと言って差別の問題をかいけつしません。
   まず、日本社会で女性の役わりは変だと思います。日本に第二次世界大戦の終わった時まで、「家システム」と言う男性と女性の役わりシステムがありました。そのシステムで年上の男性は仕事をして給料をもらえました。それから、年上の男性は強い力がありました。家システムで女性は家事をして子供をそだてることになっていました。その時に、女性は家の外で仕事をあまりしませんでした。つまり、女性の方が男性よりおとっている人と言う目下の人でした。今、日本でその家システムを使えないのに、日本人の考え方にえいきょうをしているらしです。それから、日本で結婚した後で、男性と女性を主人と家内で呼びます。その言葉の意味は「main person」と「inside house」です。また、二千年の調査によると、日本の社会で女性はおとっている人だと思う人が五十一パーセントでした。その理由は、日本人の古い考え方だと思います。
   次に、日本の社会の中で差別があるので、女性にはいい就職口がないと思います。たとえば、一流の社員や課長や部長には女性が少ないです。それから、日本の会社でセクハラのケースが多いです。たくさんの日本の会社でさんきゅうがありますけど、赤ちゃんが生まれた後に、会社にもどりにくいです。そして、時々赤ちゃんが生まれた時に女性は仕事をやめさせられます。また、女性は会社に勤めるために、トレーニングをすることが出来ます。たしか、ベービシッターとかデイケアーはとても高いです。必ずしもいけんめじゅんびすれば、会社がやとうというわけではありません。私の意見は男性と女性がけん法で同じけん利がありますから、会社で差別をするべきではありません。
   最後に、日本のせいふは日本の社会でも、なるべく差別を減らしています。最近、日本のせいふは女性の差別の問題に関して、男性と女性の同じけん利を守るために、新しいポーリシを作りました。日本のせいふは科学に女性の研究者を二十五パーセントに増やす予定です。そして、日本の会社に女性の部長も増やします。私は日本のせいふの法律が男性と女性の同じけん利を守るから、新しいポーリシを作ることがいいと思います。古い考え方と差別を減らすために、私はその新しいポーリシが必要だと思います。しかし、LDPと言う政治家のグループの法りつを作る人はけん法のじょうこう二十四を変えりたいです。じょうこう二十四を変えることは家族のかちを強くなります。LDPの政治家はじょうこう二十四を変えれば、また、女性の役わりは家事をして子供をそだてることばかりなります。だから、たくさんの日本人は怒ります。じょうこう二十四は男性と女性に同じけん利を上げたから、そのじょうこうを変えることが悪いと思います。今日の日本に、差別の問題は難しいので、なかなかかいけつしません。でも、日本の社会で女性の役わりは、ゆっくり変わって行きます。日本のせいふが男性と女性の同じけん利を守るために、プログラムをたくさん作るべきだと思います。

単語
役わり(role)、差別(discrimination)、けん利(rights)、かいけつする(to solve)、大戦(great battle)、そだてる(to raise)、えいきょう(influence)、セクハラ(sexual harassment)、さんきゅう(maternity leave)、けん法 (constitution),じょうこう(article)

2009年12月15日火曜日

シャーリー・ユーさん

ファイナルプロジェクト

   未成年の人を飲酒は社会の一番重要な問題だと思います。 十八才のティーンエイジャーがまだ未熟なので、酒を飲むのは責任が大きすぎると思います。ティーンエイジャーは何かすることが出来るか、できないかが分かりません。アメリカの男の子は、十一才の時に初めて酒を飲みます。女の子は十三才です。
   MADDによると、飲酒運転が一番多く自動車事故を引き起こられます。今アメリカの飲酒年齢は二十一才です。アメリカの飲酒法律によると、1934年の飲酒年齢は二十一才でした。1974年の飲酒年齢は十八才まで下げられました。たくさんティーンエイジャーが酒を飲んだ後、車を運転するので、交通事故を起こします。ですから、1983年に飲酒年齢は十八から十九才まで上げられました。1987年に飲酒年齢はまた21才まで上げられました。でも、交通事故が減りませんでした。
   アメリカ政府は1984年7月17日に“National Minimum Drinking Age Act”を可決しました。酒を飲む為に二十一才にならなければならないという意味です。でも、たくさんティーンエイジャーが二十一才前に酒を飲みます。ざっと六百六十万の人々が十二才から二十才まで酒を飲みまくります。そして、二百十万のティーンエイジャーが酒を深酒します。未成年の飲酒が色々な問題が引き起こします。
American Medical Associationによると、ざっと千百万二十一才以下のティーンエイジャーが酒を飲みます。十二才から二十才までのティーンエイジャーの中で、2007年に酒を飲みまくる人は十九点三パーセントでした。深酒する人が六点二パーセントでした。2008年に酒を飲みまくる人が十七点四パーセントでした。深酒する人が五点五パーセントでした。
つまり、一番重要な問題は飲酒運転だと思います。MADDによると、平均毎四十分に、一人が飲酒運転する人に殺されます。毎日三十六人が死ぬので、飲酒年齢は 下げるべきではないと思います。毎年、ざっと五十万人が自動車事故で傷つけられます。つまり、毎分一人が傷つけられます。2006年に百四十六万運転する人が飲酒運転で逮捕されました。つまり、運転許可証をある人の中で、毎百三十九人に一人が飲酒運転するので、逮捕されました。
   たくさんの人々が飲酒運転の自動車事故で死にます。十四万五千人以上のティーンエイジャーが酒のため、重傷を負って、救急治療室に住って行かれます。2007年に、万二千九百九十八人を飲酒運転する人が飲酒運転自動車事故で死にました。同年に、 千三百九十三人のティーンエイジャーが車を運転する時、酒を飲みます。それに、運転する人が飲酒後、いつもシートベルトを使うのを忘れます。
   自動車事故のなかで六十四パーセン人のティーンエイジャーが飲酒後シートベルトを使わなくて、運転をして報じられました。Center for Disease Control and Prevention によると、週末の間、自動車事故の中で五十パーセント以上のティーンエイジャーが飲酒運転して報じられる。 パーセントはとても高いので、本当に危険だと思います。
  それに、酒を飲みすぎるのは頭に傷つけられます、行為に影響して、メモリーを失います。酒が脳に厳粛な傷害を起こられます。人類は二十一才、二十二才まで、脳はまだ発育します。脳は発育を終える前、酒を飲むのは、脳問題が起こられるとか、体に副作用があります。
   ティーンエイジャーは酔っぱらいやすいだから、時々学校へ行くことが出来ません。それに、新しいことを学ぶには、より多くの時間がかかります。例えば、飲酒しないティーンエイジャーが全部百パーセントのインフォメーションを覚えるが、飲酒するティーンエイジャーが九十パーセントだけ覚えます。そして、気が滅入るように感じるので、人々は自殺します。
   飲酒運転事故以外に、酒を飲むことが多くの犯罪に関連しています。九十パーセントは高校と大学のキャンパスで起こります。ティーンエイジャーが酔っぱらった時、泥棒がお金を盗みやすいです。人々が女の人に性の嫌がらせをしやすいです。いつも、酔っぱらっている人々の間には、けんかがあります。酔っぱらったのは、何をしたか、どこに行ったのを忘れます。ですから、時々テレビと新聞から犯罪ニュースを聞きます。
   二十一才以下のティーンエイジャーが飲酒運転のパーセントが高きすぎるとか、飲酒は健康に傷害を引き起こられるとか、未成年の人を飲酒するが悪いと思います 。それに、酒屋が未成年の人に酒を販売するのは、不法です。未成年の人の二十一才友達が未成年の人に酒を買ってあげるも、不法です。 違反者は重々しい処罰が受けさせられます。ですから、未成年の人を飲酒は社会の一番重要な問題と思います。

ケイティー・プーンさん

遺伝子組み換え食品   

   世界に、ブラジルのような国は食糧が十分じゃありません。その食糧危機の問題に対処するために、15年前に遺伝子組換え食品を初めて生産しました。しかし、今大量生産するかどうかまだわかりません。みんな色々な意見を持っていて、まだデイベートしています。私は遺伝子組換え食品を大量生産するという意見に反対します。その理由として、第一に、食物連鎖が破壊される、第二に、遺伝子組換え食品を食べることが安全かどうかまだわからない、第三に、特許があるという三点があります。
   遺伝子組換え食品は遺伝子工学で作った食品です。特定の作物の遺伝子を変えることが出来るたら、色々な要求を満たせます。ビタミンAを増やしたゴールデンライスや害虫に対する抵抗があるコーンが遺伝子組み換え食品の例です。ゴールデンライスヒューマニタリアンボード(Golden Rice Humanitarian Board)によると、フィトエンシンターゼとフィトエンデサチュラーゼという二つの遺伝子を入れると、そのライスのビタミンAを多くすることが出来ます。また、コーンの遺伝子を組み変えて、害虫の嫌いな毒素を出させることで、、害虫に対する抵抗のあるコーンを作ることが出来ます。
   まず最初に、遺伝子組換え食品を大量に生産すれば、食物連鎖が破壊されてしまいます。害虫に抵抗のあるコーンを生産すると、生産量が増えて、食糧危機の問題を解決出来ます。しかし、この方法を使ったら、コーンを餌とする害虫が少なくなります。すると、その害虫を食べる生物は食べ物が減るので、絶滅するかもしれません。このように遺伝子組み換え食品の大量生産は食物連鎖に悪いです。
   次に、遺伝子組換え食品を食べることが安全かどうかまだわかりません。遺伝子組換え食品は体に悪い影響を及ぼす可能性があるので、心配されます。ビタミンなどの栄養素の摂取量は多すぎては体によくありません。食品の栄養素量を知らない人がいるかもしれなくて、その人は食べれば食べるほど体によいと考えています。それに、突然変異の影響が深刻かどうかまだわかりません。これらの安全性に関係する問題を遺伝子組換え食品を大量生産する前にたくさん研究をして明らかにしなければいけません。
   最後に、害虫に抵抗のある作物を生産すると、生産量が増えます。農夫たちは安定な収入があるそうです。しかし、必ずしも農夫たちの収入が安定するわけではありません。その理由は遺伝子組替え種子の特許です。遺伝子組替え種子のほうが普通の種子よりも高いので、お金があまりない農夫は遺伝子組換え作物を買えません。また遺伝子組替え作物を栽培するには、毎年農夫たちは特許料をたくさん払わなければいけません。補助金がないので、お金があまりない農夫は大変だと思います。色々な農夫さえ損失します。
   以上のことから、食物連鎖への影響、安全性の問題、農夫たちの金銭的負担の三つの理由から、私は遺伝子組換え食品を大量に生産するという意見に反対します。

2009年12月14日月曜日

ジャスティン・キッズマンさん

けんこうほけん

   最近、アメリカではけんこうほけんを話しています。アメリカにたくさんけんこうほけんの問題があります。それで、この問題のために、せいふは答えをしらべています。せいふは他国のようなけんこうほけんを見ています。それに、日本のけんこうほけんを見ています。
とうぶん、アメリカのせいふはけんこうほけんをかえています。たくさんけんこうほけんの会社があります。そして、この会社は人々の病院のし払いをしています。でも、せいふはこの会社をみません。それに、病院のし払いのために、人々は手伝うのことをみつけないです。その人は自分で全部病院のし払いをしなければ行けません。それから、たくさんの人はけんこうほけんを受けれません。
最近、アメリカのせいふは新しいけんこうほけんのほうあんを話しています。このほうあんはアメリカのけんこうほけんをよくになる予定です。このほうあんはけんこうほけんを受けない人を手伝う予定です。その人にせいふはけんこうほけんをくれる予定です。けんこうほけんのほうあんはメディケアーを上げる予定です。それに、年ぱいの人と働けない人にけんこうほけんをあげる予定です。けんこうほけんがある人もこのほうあんから手伝うかもしれません。人は病気になったら、けんこうほけんの会社はその人をおとせません。それに、病院のし払いは五千ドルまで上げません。このほうあんの一番迷惑な問題は皆さんのぜい金が上がります。
日本のけんこうほけんは少し違います。日本にけんこうほけんが二つがあります。それはけんこうほけんとこくみんけんこうほけんです。働く人はけんこうほけんをかいしゃから買って、学生と自分で働いている人はこくみんけんこうほけんをせいふから買います。皆さんは何かのけんこうほけんを買わなければいけません。このけんこうほけんは薬と病院のし払いの七十パーセントをはらいます。それに、皆さんは自分の病院と医師を選びます。一番迷惑な問題は病院が人をこたわれます。そして、時々何度かひとをこたわります。
アメリカのけんこうほけんのシステムが変わらなければなりません。たくさんの人はけんこうほけんをもらえません。そして、人は病院のし払いを出来ません。アメリカで話されている将来のけんこうほけんはあまりよくないと思います。ちゅうりゅうかいきゅうは将来のけんこうほけん費をはらわなければいけないと思います。それで、私はぜい金は高すぎるようになるだろうと思います。皆さんはけんこうほけんがあります。でも、けんこうほけんはあまりよくないと思います。
アメリカは日本のようなけんこうほけんを使うべきです。みなさんはけんこうほけんを買わなければなりません。そしたら、けんこうほけん費はあまり上はらないかもしれません。年ぱいの人と働けない人は払わなくてもいいと思います。そして、皆さんは病院と医者をえらべる方がいいと思います。それから、私はアメリカが日本のようなけんこうほけんを使うべきだと思います。
つまり、アメリカのけんこうほけんは変わって来ています。ぜい金を上げるから、将来のけんこうほけんはあまりよくならないと思います。アメリカは日本のけんこうほけんを使うべきだろうと思います。ぜい金があまり上がらないで、皆さんは病院と医者をえらべて、けんこうほけんをもらわれるからです。

ブライアン・オッテンさん

捕鯨
  
 「世界で鯨を取っている人は鯨を殺しすぎますか」という質問はものすごく答えにくいと思いますけど、人が鯨を捕獲(ほかく)することは「捕鯨(ほげい)」ということです。 捕鯨の中で、 しなければいけない区別は三つあって、その区別は食べるために捕鯨と売るために捕鯨と研究するため捕鯨です。 たくさんの国は鯨を捕獲しますが、 特に日本とアイスランドとノルウェーは捕鯨の有名です。
   国際捕鯨委員会は鯨を捕獲することに心配しているグループです。国際捕鯨委員会(こくさいほげいいいんかい)は1946年に捕獲の数を減らせることに決めたんですけど、 1946年と1986年の間に、捕獲をするを人に捕獲をされた鯨の数はまだ多すぎました。 そのため、 1986年に国際捕鯨委員会は鯨を取る人をやめらせました。 しかし、 研究をするのために鯨を取れば、大丈夫でした。それで、 日本のような国はその理由を使っていて、 今でさえその理由を使っています。 
   アメリカ人とほかの国によると、鯨を殺している国に珍しい鯨を取られているらしい。 けれども、 日本やアイスランドは殺されている鯨が別に珍しくないと言っていて、研究をするために鯨を捕獲していると言っています。やめてほしい国は鯨を捕獲している国を止められないというわけです。その鯨を捕獲している国によると、捕鯨はメリットさえあると思います。 捕鯨は人に仕事を与えて、経済にいいです。それに、 鯨を捕獲して、研究をすればは鯨の個体数を増えられるようになります。 鯨を捕獲する人によると、 ほかのメリットもちろんありますが、 「捕鯨は仕事がない人に仕事を与えて、経済によくて、研究は鯨の個体数を増えている」という理由が一番大事なようです。 
私の意見は、 鯨を捕獲している人を止ませることは難しすぎるかもしれません。そうかといって、鯨を捕獲している人に捕獲される鯨の数を減るべきだと思います。なぜなら、 たくさんの鯨は珍しくなくても、たくさん鯨が絶滅危惧種で、まだ捕獲されています。いつのまにか、 ほかの絶えた動物のように絶滅危惧種の鯨はいなくなります。けれども、必ずしも鯨を捕獲している人には主な理由というわけではなくて、ほかの理由もあります。例えば、 魚を捕獲している人も沢山いるので、 鯨のための食べ物の数は足りません。また、船にぶつけられた鯨も沢山います。 
つまり、 鯨を捕獲している人によると、捕鯨はメリットがあって、捕鯨が好きじゃない人はそのメリットを頭に置くべきだと考えるらしい。 けれども、鯨を殺している人は研究でを助けているといっても、 現在の鯨の個体数は前より少ないようです。 そして、 鯨を捕獲している人は珍しい鯨を捕獲したくなくても、絶滅危惧種な鯨はまだ殺されています。鯨を捕獲することを止めにくすぎるかもしれないんですけど、殺されている鯨の数を減ればいいと思います。  

ニッキー・ラヒューズさん

  運転中の携帯電話を使う

  私は「運転中に携帯電話を使うべきではない」という論題です。そのりゆうとして、1つのじゅうようなポイントで、運転中に携帯電話を使うはとてもきけんです。これが私の1点のりゆうです。
50いじょうのけんきゅうは「運転中に携帯電話を使うのがきけん」と言いました。運転中に携帯電話を使う人は4ばいいじょうのこうつう事故のかのうせいです。運転中に携帯電話を使うの方が他のかつどうのよりきけんです。運転中に食べるとか運転中に飲むとかビルボードを読むとか運転中にラジオを聞くとか運転中に他の人と話すとか。携帯電話の会話はもっときけんです。
The National Safety Councilは毎日1おく人が運転中に携帯電話を使うので、運転中に携帯電話を使うのがぜんめんきんしをしたいです。ハンズフリーというしょうこがありません。ですから、日じょうの携帯電話もハンズフリーもきけんだと思います。
ハンズフリーだけのほうそくは悪いメッセージを送ると思います。そのほうそくはハンズフリーはとても安全というメッセージを送ると思います。それは本当ではありません。運転中に携帯電話を使う人から71%がハンズフリーは安全だと考えています。
The Harvard Center of Risk Analysisの2003年のけんきゅうは「運転中に携帯電話のしようはこうつう事故の6%にこうけんします」と言いました。つまり、1年いないに、636,000のこうつう事故と330,000のけがと12,000のしんこくなけがと2,600の死は運転中に携帯電話のしようのあやまちです。それは430おくドルです。
私は他のとうけいもあります。The National Highway Traffic and Safety Administrationは2008年4月、「すべての車のこうつう事故の25%の気をちらすによってひきおこされます」とはっぴょうしました。
The Harris Pollもしょうこがあります。Harris Pollのおもなちょうさけっかは運転するも携帯電話も持つ人から71%が運転中に携帯電話を使います。それらの人々のうち、66%がハンズフリーを使いません。それらは人々のうち、2%がきけんではないと考えています。26%がとてもきけんだと考えています。24%がきけんだと考えています。33%がいくぶんきけんだと考えています。これらのとうけいが私はびっくりしました。どうして、きけんだと考える人はまだ運転中に携帯電話を使いますか。私はその人がおろかだと思います。若いドライバーの方が64以上のドライバーよりも運転中に携帯電話で話しをするかのうせいがあります。
話すだけも問題ではありません。私は運転中にテキストメッセージ(SMS)も問題だと思います。運転中に携帯電話を使う人のは25%テキストメッセージを作って読んで送ります。私はテキストメッセージはもっときけんだと思います。テキストメッセージを読むとか作るとか送る時、きっと道を見ません。運転中にテキストメッセージを送らない下さい。
運転中に携帯電話を使うべきではないと思います。こうつう事故でたくさんの人はけがをします。それはゆるされません。みなさん、他の人の考えて下さい。運転中に携帯電話を使わないで下さい。ですから、私は「運転中に携帯電話を使うべきではない」といういけんです。

ミッシェル・プライスさん

不法入国

   アメリカと日本で不法入国は大きい問題です。不法入国は外国人がほかの国に入りますが、でも、外国人はパーミッションがありません。アメリカンアカウンタビラレィオフィスによるとアメリカでは一番多い不法入国者のグループはメキシコ人です。日本のほうむしょうにゅうこくかんりきょくによると、日本では一多い不法入国者は韓国人です。でも、全部の国は不法入国の問題があります。
不法入国は悪いです。アメリカのほうむしょうにゅうこくかんりきょくによると二千六年にアメリカではカリフォルニアだけ千百五十五万五千人の不法入国者がいました。そして、カリフォルニアで不法入国者の子供は公立学校に行きます。でも、公立学校はアメリカのぜいほんを使いますが、不法入国の両親はアメリカでぜいほんを払いません。この問題はカリフォルニアだけじゃないです、すべての五十の州の問題です。また、時々、不法入国者の子供は英語が話せません。それで、クラスで先生は学生を教えるにくいです。つまり、先生は自分自しんをくり返す必要があるので、クラスで不法入国人の子供がいる時に、学校にいる時間は無駄です。
   それから、不法入国者はぜいほんをぜんぜん払いません。アメリカでぜいほんは色々使う事があります。ぜいほんは学校の本を買ったり、新しい道路を作ったり、病院を建てたりします。でも、不法入国人はぜいほんを払わないが、たくさんっぜいほんを払う物を使います。つまり、市民のぜいほんが増えわされています。
次に、より多くのお金をえるために、たくさんアメリカの学生はアルバイトを探します。毎年、一番若い働く年れいを下げます。アメリカのろうどう者の部門によると、今年の一番若い働く年れいは十四才です。日本のろうどうきじゅんほうのよると、日本の一番若い働く年れいは十三才です。でも、今、不法入国者は学生のアルバイトがほしいです。不法入国者はいほうなので、しゅうろうビザがありません。そして、不法入国者は学生のアルバイトがほしいです。アメリカのアルバイトは少しルールがありますけど、たくさん不法入国者は探させます。不法入国者は色々な仕事が出来ます、でも、アメリカ学生は出来ません。それから、不法入国者はいやな仕事も出来ます。そして、上司は不法入国者に少しお金を払います。
学校に行かないでアルバイトを探さない時には、時々、不法入国者は「ギャング」をくわわります。お金がないので、しばしばギャングのメンバーはドラッグやてっぽうをうります。アメリカの国家ぼうりょくだんじょうほうセンターによるとギャングのメンバーシップは先年だけ、二十万人が増えりました。
   つまり、アメリカと日本で不法入国は大きい問題です。この問題は日本とアメリカだけじゃないですが、すべての国です。不法入国者はアルバイトを盗んで、病院のリソースを使って不法入国の子供はアメリカの公立学校に行きます。不法入国を止まれる必要があります。
遷延性植物状態患者の栄養補給の中止

   遷延性意識障害の定義は、日本脳神経外科科学会によると、「(1)自力移動ができない、(2)自力摂食ができない、(3)糞尿失禁、(4)意味がある発語ができない、(5)物を見ても認識できない、(6)簡単な命令に答えて意思疎通ができない」と言う以上六点であります。もしこの六点が三ヶ月以上続く場合、「植物状態」になります。そして、植物状態は一年続くと、「遷延性植物状態」と診断されます。簡単に言えば、遷延性植物状態は命を維持する脳細胞以外の細胞が大体死んで、命を維持する脳細胞しか残っていないと言う事です。植物状態患者は自分でをすることとかは出来ますが、生命維持ための医療機器や栄養補給などが要ります。

   遷延性植物状態患者の栄養補給の中止は倫理的問題になる三つの主要な理由は、まず、不可逆性か可逆性かを断言できない上に、治療の方法がまだ見つけられていません。米国の遅延性植物状態に関する多学会特別委員会は、「植物状態患者がもし一年後、まだ意識回復の兆候が全然見えないなら、回復率はゼロに近い」と発表しましたが、そうかと言って必ずしも回復する可能性がないと言うわけではありません。次に、生きているのと死んでいるの定義は、人によって違います。そして最後に、命はかけがえのないものであるということです。命がかけがえのないものであるため、安楽死を行うかどうかは、慎重に決めるべきです。普通はなるべく患者の自己決定権(リビング・ウィル)を尊重しますが、遷延性植物状態患者は意識がないので、患者の意見を聞くことができません。以上の理由で、栄養補給の中止か続行かの決定はものすごく難しいものです。私は、遷延性植物状態患者は生きていない、そして家族や病院に迷惑がかかるという二つの理由で、遷延性植物状態患者の栄養補給中止に賛成します。

   まず、遷延性植物状態の患者が生きているか生きていないかは、論争の余地があります。栄養補給の中止に反対する人が、よく植物状態患者の栄養補給の中止は人を殺す事だと主張して、そして心配しています。例えば遺産の為に、家族はわざと遷延性植物状態患者になった人の栄養補給を中止したら、本当の動機を隠されることが出来る上に、人を殺す理由は正当化になります。交通事故のせいで植物状態患者になった例が多いので、確か心配する必要があります。それに、心臓の機能とか生き物の特性がある理由で、植物状態の患者は生きていると思う人にとって、栄養補給を中止するのは人を殺すのと同じことです。でも、どんな理由であっても、遷延性植物状態の患者が生きていることを証明できないなら、栄養補給中止が人を殺すことと同じという理論が成立しません。

   私は、植物状態の患者は生きていないと思います。「近代哲学の父」と呼ばれた哲学者ルネ・デカルトが存在について話していた時、「我思う、ゆえに我あり」と言ったそうです。つまり、人は考えられるので、存在すると考えれば、逆に、考えられないなら、存在していないと言うことじゃないでしょうか。この場合、存在していると言うことが生きていることだと解釈すると、植物状態患者は意識がないので、生きていない結論に達します。だから、生きていない人を殺すことは出来ません。

   次に,家族と病院に迷惑がかかる点についてですが、植物状態の患者は生命維持のための医療機器や栄養補給などが必要です。それに患者の余命年数も長いかもしれないので、莫大な費用がかかる可能性があります。これは家族への大きな負担になります。また病院には、医療資源の問題があります。資源は有限なので、病院は限りある資源を実用的用途に使うべきです。もし患者の回復率が高いなら、沢山お金を払っても、沢山の資源を使ってもいいと思うのですが、遷延性植物状態の患者の回復率がゼロぐらいなら、お金や医療資源をなるべく助かる人に使えばもっといいのではないでしょうか。

以上の二つ理由で、私は遷延性植物状態の患者の栄養補給中止に賛成します

2009年11月10日火曜日

ニッキー・ラヒューズさん

パーデュ大学公共交通機関の社会問題

  私はパーデュ大学で公共交通機関を使うべきという論題で否定側立論です。そのりゅうとして、第一に、バスが遅いです。第二に、歩いたら、体がいいになって来ます。第三に、シートベルトがありません。それは私の三点があります。
まず、「バスが遅いです」と言う点ですが、バスが何でも天気に遅れて走ります。パーデュ大学で15分しか授業へ行きませんが、少し時間があります。パーデュ大学はインディアナ州の中ので、冬の時にたくさん雪が降ります。その時に道がとてもきけんです。じょせつしゃは雪をかたづけるのに、たくさんこおりとかをのこります。それはとてもきけんので、バスがじょじょに運転します。
雨が降るの時にも、バスがじょじょに運転します。ザーザー雨がとてもふべんですが、道を見にくいになるや道がすべりやすいになるのきけんせいがあります。時々、晴れるの時にもバスが遅れます。りゆうがないのに、バスが遅れる来ます。ですから、バスに乗ったら、早い授業に行っても遅れるになります。授業に遅れて来たら、先生と他の大学生を困られます。その時にとても迷惑だと思います。
次に、「歩いたら、体がいいになって来ます」と言う点です。最近、大学生はコンピュータの前に座りすぎるので、いつのまにかふとったになります。キャンパスの中にたてものがとても近いですが、授業へ歩きやすいと思います。冬の時、暖かいいふくを着たら、病気にならないと思います。バスは毎日たくさん病人を乗ると、たしかに病気になります。授業へ歩きさえすれば病気になりません。大学生は、手をよく洗ってくれたらと思います。手を洗ったら、多分バスがもっとせいけつですけど、たしかたくさん大学生はよく洗いません。それは残念です。
最後に、「シートベルトがありません」と言う点です。例えば、事故にあってしまいましたら、たしかにけがをされます。とても安全じゃありません。では、バスは早い止まったら、たくさん人がおちるかバスシートの後ろに頭を打ってしまいます。さらに立つ人は座る人にらっかされます。車はシートベルトがありますが、バスにもシートベルトが持ってもいいでしょうか。バスでたくさん人を乗るので、たくさんシートベルトがあってもいいと思います。これはゆるされません。
私は「バスが遅いです」と「歩いたら、体がいいになって来ます」と「シートベルトがありません」の3点です。ですから、私は「パーデュ大学で公共交通機関を使うべきだ」と言ういけんにはんたいします。

ウィルソン・ジョナさん

公共交通機関

私は皆さんが公共交通機関に乗るべきであると思います。たくさん理由があります。第一に、人たちは自分の車に乗るより公共交通機関ほうがいい。今、環境の自覚はとても大事なので皆さんが公共交通機関に乗ればいいのに。人たちは自分の車を乗らなければ乗らないほど汚染が下げます。また、人たちは自分の車を使わないでお金を蓄えます。
第二に、経済の大事です。公共交通機関はたくさん人の仕事を与えます。公共交通機関は掃除や運転手が必要なのでたくさん仕事を与えます。また、まだ人たちの税金から公共交通機関の料金を払います。まだ料金は払えば公共交通機関に乗るべきであります。最後にたくさん人は自分の仕事に行くためによく公共交通機関を使います。
第三に、一般に公共交通機関に乗るの料金は安いので誰でもバスか電車にも乗れます。アメリカの人口は車がない人が多いですから、公共交通機関を使わないでどう旅行を出来ますか。私はパデュー大学に一年生から三年生まで車がありませんでしたがバスに乗ってどこでも行きたかった所に行けました。車が時々高いから、人たちはあまり車を買えなくてバスに乗りやすいです。
第四に、パデューに一年生はあまり車がないので公共交通機関がなかったら、ウェストラファイエットとラファイエットへ行きたけば歩かなければなりません。冬にはとても寒くなると歩いて病気になれます。バスか電車に乗る人は病気を感染させるもののこの感染は治療があります。学生は冬に歩いて霜焼けになれて治療がありません。
第五に、公共交通機関はとても便利です。パデューに時々バスはちょっと遅く着きます。でも、パデューで道で歩く人が多いのでバスはいつも速度を落とさなければなりません。大きい町にパデューよりバスが多くて交通は多いので道で歩く人があまりいません。大きい町にバスが多いから、たくさん人はバスに乗れます。また、たくさんバスがあるので一つバスはちょっと遅ければ他のバスが自分のルートを違えます。この五理由から人たちは公共交通機関に乗るべきであります。公共交通機関は少し難点があります。時々遅く着きます。時々バスか電車はあまりきれいじゃありません。また、バスの運転手はちょっと失礼じゃありません。でも、この難点より五理由ほうが大切です。公共交通機関はたくさん人に手伝ったことがあって今たくさん人に手伝っていて将来にたくさん人に手伝います。公共交通機関がなければ、社会は動くのが出来ません。

2009年11月6日金曜日

ケイティー・プーンさん

   私はパデューのバスに乗るべきであると考えます。その理由として第一に、二酸化炭素や窒素酸化物による環境汚染問題があります。第二に、駐車許可証は高くて、駐車場は、キャンパスから離れています。第三に、安全、かつ、快適に目的地に行くことが出来ますという三点があります。
まず、環境問題は大切な問題です。車を運転しながら、二酸化炭素や窒素酸化物を出し、空気汚染を起こします。最近、地球から出した二酸化炭素と窒素酸化物が速く増えていると、温暖化問題を起こさせます。その問題がつづくのであれば、100年以内に地球の気温が2、3度ぐらい上がって、海面水位も上がるらしいです。それほど、温暖化問題が深刻にならないように、車を使い過ぎてはいけません。
ウェストラフィエットの二酸化炭素や窒素酸化物の排出量をもっと下がるように、なるべくキャンパスのバスを使うの方がいいです。それに、10パーセントのバスはハイブリッドバスで、ハイブリッドバスは二酸化炭素や窒素酸化物の排出量は普通のバスに比べ少ないです。 次に、一年生と二年生はふつう車がありません。例え、車があったとしても、Cパーミットは100ドル、CGパーミットは250ドル、駐車許可証はとても高くしかも、駐車場はキャンパスから離れています。
「学校に歩いて行くことが出来ます。」という意見をよく聞いています。しかし、必ずしもみな学校に歩いて行くのが好きだというわけではありません。バスに乗ることはとても便利です。バスは頻繁に来ています。学校に5分か10分ぐらいかかって、とても便利です。
最後に、冬の期間は、暖かくて、快適なバスで目的地に行くことが出来ます。また、週末では、さけに酔った学生でも安全に家に帰ることが出来ます。さらに、女性にとって危険な夜間でも、バスに乗ることで、安全に帰ることが出来ます。また、バス停の近くには、緊急通知ボタンがあるので安全です。
「キャンパスのバスの中にシートベルトがないので、安全ではありません。」という意見を言われています。しかし、バスに乗る時けがをすることをあまり聞きません。バスの運転者はよく制限速度を守りますが、学生が車を運転しながら、よく制限速度を守りません。ですから、バスに乗るのほうがけがをしにくいです。
以上のことから、環境のため、学生の自身のために、私はキャンパスのバスに乗るべきであると思います。

2009年11月3日火曜日

セイディー・スミスさん

社会問題:キャンパスの内での洗面禁煙


  私は全面禁煙が大事な社会問題だと思います。私はパデュー大学のキャンパスの内での洗面禁煙に賛成です。パデュー大学はかんせつきつえん(passive smoking)にたばこをすわない人を守るべきだと思います。「パデューのキャンパスのビルの三十フィット前にたばこをすわないで下さい」と言うたばこをすう規則が厳しくないです。必ずしもたばこをすう人が規則を守るというわけではありません。今かんせつきつえんのけんこう問題をふせぐのために、パデュー大学のたばこをすう規則が無駄ならしいです。そして、洗面禁煙をすればいいのに。私の理由がかんせつきつえんのけんこう問題とたばこのすいがら問題とたばこをすう人の色々な問題と言う三点があります。
  私は一番大事な理由がかんせつきつえんのけんこう問題だと思います。エクスポンエントと言うパデュー大学の新聞がたばこをすわない人は「キャンパスで六十と七十七パセント」と書きました。かんせてうきつえんはカンサーや心の病気やはい(lung)の問題を起こします。そのけんこうの問題が大きい問題だと思います。それに、かんせつきつえんをもらえばかんせつきつえんをもらうほど、はいの被害がふえります。たばこをすわない人はかんせつきつえんがとてもいやです。その人の中にアズマと言うはいの問題があれば、本当にかんせつきつえんが迷惑をかけます。そして、規則なのにたばこをすう人はビルの三十フィット前にたばこをすうそうです。キャンパスで歩いている時、かんせつきつえんをもらいすぎてかんせつきつえんをにげるのために、どこでも行けないと思います。つまり、たばこをすう人がたくさんたばこをすわない人にけんこう問題を起こしています。
  次に、たばこのすいがら問題があります。たばこをすう後でたばこをすう人はたばこのすいがらをどこかに捨てています。たばこのすいがらが多いあるので、環境とパデューのキャンパスは悪くなります。道路やキャンパスにたばこのすいがらを片付けるために、お金も時間がかかります。それから、たばこをすうひとがたばこのすいがらをどこかに捨てていれば、パデュー大学のたづねる人はキャンパスがきれじゃないと思います。
  最後に、たばこのすう人の色々な問題だと思います。たばこうをすわない人よりたばこうをすう人はけんこう問題があります。そして、よく病気になります。大学生の中でたばこうをすう人は十パセントが早くしにます。私はたばこをすいたえれば、自分で選ぶことを出来きると思います。でも、たばこをすう人はたばこのすわない人のけんこう問題を起こすべきではないと思います。かんせつきつえんはたばこをすわない人のけんこうを毎日少しづつ悪くなるそうです。そして、学生は大学のキャンパスの近く所でたばこをすうことが出来ると思います。それから、たばこをすう人は違うオプションが使えます。そのオプションのほうがたばこをすうことよりいいと思います。そのオプションはイ-シグスと言う小さいニコチンパックのことやニコチンゴムやニコチンパッチがあります。イ-シグスをすう時、たばこの同じニコチンも味があります。それに、たばこをすわない人はそのオプションにかんせつきつえんをもらえないので、たばこをすう人がキャンパスで使うことが出来ます。

シャーリー・ユーさん

キャンパス内での全面禁煙

   キャンパス内でのタバコを吸うのは社会問題と思いますが、タバコを吸う人にキャンパス内でのタバコを吸ってもいいと思います。タバコを吸わない人がキャンパス内での全域禁煙にしてほしいです。十八才、人々がタバコを吸っています。
   父は十七才から毎日にタバコを一バックが吸っています。どうして人々がタバコを吸い分からないだけど、父はいつも説明を話ないし、「あなたが分からない」と言いました。今まで、父はいつも家にタバコを吸っているので、部屋も、父の服もおいを悪いです。ですから、寝室に止めったや、私が母と姉と父に本気で話しました。父が「タバコを吸わないのは難しいです」と言いましたけど、家族の為に部屋の外にタバコを吸います。その場合なら、私は大丈夫だ、家にもうおいを悪くないけど、父の体も、服もおいを悪いです。その時以来、 父の健康のために、いつも私は父に「タバコを少し吸わなくてもいいでしょうか」と言いました。今まで、タバコを吸うのは体に悪いや、病気になりやすいと思っています。
  私は二十一才ですが、タバコを自分の健康に悪いや、体と口腔がおいを悪いや、歯を黄色になるので、タバコを吸わないです。タバコを吸う人がタバコを吸う時は私の近いことでわないがいいです。私はタバコを人々吸って歩く時大嫌いです。副流煙を吸わないし、服と髪がおいを悪い欲しくないし、どこでタバコを吸ってもよくないとおもいます。でも、タバコを吸うか吸わないが自分の選択の自由と思います。
  最近、として人々がタバコを吸う理由わかりました。十八才後、タバコを吸うのは合法だけど、たくさん高校生は十八才前タバコを吸います。四年前、私は高校四年生だ、宿題をたくさんあるや、大学校のことあるや、大学校の試験もあって、 忙しいでした。つまり、圧力をあります。タバコを吸う友達から「タバコを吸う時、圧力をちょっと下がようになります」聞きました。
  大学校で、たくさん難しいな授業をあるから、タバコを吸う友達がいつも授業あと、次の 授業前、タバコを吸います。その場合なら、タバコを吸わないが、次の授業に先生の言うことを聞くことが出来ません。また、試験を受けるために、圧力をあるので、試験を受ける後、タバコをまもなく吸います。いい感じをくれるや、もう圧力をないです。それに、タバコを吸いたいどき、コントロールを出来ません。その場合なら、タバコを吸う人は吸う出来ません時、何が違う感じがあります。それから、頭を痛くなったり、眠れなくなったり、怒りやすくなったりします。
  私が若かった時に、副流煙を健康に悪いと思いだから、タバコを吸う人が好きくなかったです。最近、副流煙を吸うことちょっと分かりました。例えば、タバコを吸う人が一人とタバコを吸わない人と、一緒に同じ部屋に泊まる。この場合なら、二時間にタバコを吸う人がタバコを吸うならば、タバコを吸わない人が副流煙を吸う量がタバコを二本だけ吸いだから、それが重要な問題ではないと思います。副流煙を吸うない人がタバコを吸う人の近いに聞かなくてもいいじゃないでしょうか。
  「たくさんタバコを吸う人がゴミを捨てるので、迷惑と思う」聞きました。これは個人問題です。人々がゴミを捨てる人あるし、捨てるできない人があります。それから、パデューは掃除の為に、たくさんクリーナーが雇っています。つまり、お金をたくさん払っています。ゴミだけじゃない、紙も、ナプキンも、カップもパデューのビルにし、ビルの外にし、あります。ですから、ゴミを捨てる問題は心配なくてもいいと思います。
  しかし、健康問題を関心があります。タバコを吸う人が病気になりやすいです。タバコを吸いすぎる、肺癌になったりします。パーセントが多くないです。皆がタバコを吸うのは健康に悪く知ります。テレビの広告に「タバコを健康に損害する」小さいで書きます。それから、タバコのパックにも「タバコを健康に損害する」小さいで書きます。人々がタバコを吸って選びが、人々がタバコを吸わなく選び  ます。それは個人の選択の自由です。
  私は「キャンパス内での全面禁煙」についてどう思いません。全域禁煙にするのはタバコを吸う人に大変だと思います。でも、タバコを吸って、歩って、迷惑と思います。ですから、どんな場所でタバコを吸って出来るが確かめてはいいじゃないでしょか。

オッテン・ブライアンさん

「パデュー大学はキャンパス内での全面禁煙にするべきですか」と言う質問はすごく答えにくいんだと思います。 なずなら、全面禁煙に賛成する人と全面禁煙に反対する人は、強い理由があります。しかし、パデュー大学はキャンパス内での全面禁煙にすれば、たち悪くなると思います。 タバコを吸っている人はもう大学に聞かないし、タバコを吸うことは中毒だし、タバコを吸っている人は人権があります。

まずに、 タバコを吸っている人はもう大学に聞かないと言う理由です。 現在に、 キャンパスにいる時は、 いつも吸っている人を見ます。 大学はキャンパスのビルは30フィート以内でタバコを吸わないことになっているんですが、人はあの規則に全然聞きません。それで、席とかテーブルはビルの近くにあるので、便利です。 それに、 秋の時と冬の時は時々かなり寒いので、ビルのドアのほうが暖かいです。 ですから、タバコを吸っている人をなかなかコントロールをできません。

次に、 タバコを吸っていることは中毒だと言う理由です。 たくさんの吸っている人がしっていて、よくタバコを吸います。 母さえタバコを吸います。友達と母に何度もタバコを吸わないで見てくれないと聞きました。 母にやさしく聞いても、私に聞いてもらえません。母はタバコを吸わないことについて、話したくありません。その代わりに、怒ります。 と言うのはタバコを吸っていることは中毒に慣れるので、吸っている人によって、 タバコを吸うのはなかなか止められなくて、困っています。大学とか仕事は難しくなる時は、 

最後に、 タバコを吸っている人はアメリカに住んでいるなら、権利があります。 人はタバコを吸いたい時は、 タバコを吸ってもいいべきだと思います。この理由に賛成します。 私はタバコをすうのが好きじゃないけど、タバコを吸うか吸わないかは、その人の選択だと思います。 パデュー大学は健康問題に心配しているので、 タバコを吸っている人を止めさせたいんですが、難しすぎると思います。 タバコを吸う人はタバコをすうのは健康にわるいかもう知っています。 そして、大学はタバコを吸っている人はタバコを吸いたかったら、キャンパスを出るべきだと思います。けれども、 たくさんの人はクラスから別のクラスまで行く時は、時間がないので、キャンパスを出るのは難しいです。
 
つまり、パデュー大学は全面禁煙にすれば、悪い考えと思っています。 そうすると、吸う人は怒ります。というのは吸う人はもう現在の規則に聞いていないし、タバコを吸うのは中どこだから止めにくいし、そしてタバコを吸っている人は権利がありますから大学はそんな人を止めさせるべきではありません。

フォンユー・ハンさん

キャンパス内で全面禁煙について

  キャンパス内での全面禁煙について、私は賛成です。なぜなら、主要な理由が三つあります。第一に、タバコを吸うのは、吸っている人の健康に有害です。第二に、ほかの人に迷惑をかけます。第三に、吸殻のせいでキャンパスは汚くなりました。以上の理由で、私はキャンパス内での全面禁煙を賛成します。
  まず、タバコを吸っている人は自分の健康の為にタバコを止めたほうがいいと思います。たしか病気になるかならないか、人によって違いますが、タバコを吸えば癌になる機会が増加させるのは事実です。命が一つしかありませんので、なるべく危険を冒しないで、大事にするべきです。でも、タバコを吸っている人によると、タバコへの依存症がありますので、なかなか止められません。止めると、頭が痛くなったり、イライラしたり、圧力が上がったりすると言う副作用があります。
  しかし、止めにくいと辛いから止められないことを賛同できません。十年前、家族が父に禁煙するくださいと頼んだら、父はそれから交際の為以外一度も吸いませんでした。だから、禁煙するのは、絶対無理なわけではありません。できないのは、ただ自分の弱さに負けたや自分への寛容と言うことです。タバコを止められないと思えば思うほど難しくなります。むしろ、強い自制力があれば、止められると信じれば、止められると思います。と言うわけで、健康の為に、キャンパス内だけではなく、タバコを吸っている人は禁煙すればいいと思います。
  次に、皆の健康に有害なので、迷惑です。研究によると、副流煙はタバコを吸うより毒です。つまり、タバコを吸っている時、せめて近くにいる人の健康を考えて、なるべくほかの人がいない所にします。でも、残念ながら、キャンパス内でタバコを吸っている人はたいてい何も考えないでタバコを吸っています。タバコを吸っている人にとって、タバコを吸うのは不法ではありませんので、個人の権利があります。そして、キャンパス内で禁煙すれば、どこでもタバコを吸える自由が奪われたと思って、怒るでしょう。
  たしかタバコを吸っている人は、個人の権利がありますが、タバコを吸わない人に副流煙を吸わせる権利がありません。タバコを吸っている一人が沢山の人に副流煙を吸わせることは不公平と思います。一人の権利と沢山の人の権利と比べたら、やはり衆人の権利が重いです。さらに、ニコチンパッチやニコチンガムなど人に迷惑をかけないタバコ代用品がありますので、タバコを吸っている人の権利を奪わなくても、キャンパス内での全面禁煙ができます。
  最後に、吸殻のせいでキャンパスは汚くなりました。吸殻は普通のゴミ入れに捨てはいけませんので、タバコを吸っている人はたいてい便利の為に吸殻を地に捨てます。キャンパス内で歩けば、図書館や建物の外で、どこでも吸殻を見つけます。誰でも綺麗な大学に行きたいので、吸殻は迷惑です。そして、大学を見に来る高校生に悪い印象をあげてはいけませんので、キャンパスは綺麗にするべきです。キャンパス内での全面禁煙に反対する人は、多分吸殻を捨てるのが大問題じゃないと立論します。吸殻だけではなく、ほかの色々なゴミもあります。大学はもう掃除の為にお金を沢山払っていますので、吸殻は大事な問題ではありません。
  でも、それは二つの間違い所があるではないでしょうか。実は、吸殻を掃除するのが結構難しいと思います。たいてい草や低木など掃除しにくい所に捨ているので、とても掃除できません。また、吸殻を捨てるのが、ほかの人とゴミと関係なく、良くないことです。例えば、世界中沢山の泥棒がいますので、自分が盗むのも大丈夫と思うのはいけません。だから、吸殻は大問題ではないことを反対します。
  綺麗や健康のキャンパスを作るのは、皆責任があります。そして全面禁煙は、理想なキャンパスへの第一歩です。以上の理由で、私はキャンパス内での全面禁煙に賛成します。

クリビア・シンさん

全面禁煙

私はキャンパス内での全面禁煙についてどう思いました。肯定側も反対側も一理はあるので、わたしは全面禁煙に賛成です。パデューのきていによると、今は、大学のビルと車内だけ喫煙をきんじます。まだ、大学しせつの三十フット外にはたばこをすってもいいです。どうして全面禁煙になければならないとか考えました。
 一番重要な問題はかんせつきつえんです。パヂューには七十パセントぐらい非喫煙者があります。それから、喫煙者がたばこをすうとき、非喫煙者のひがいが大きいです。カンパスで歩いている時、かんせつきつえんをもらいすぎてかんせつきつえんをさけるのために、どこでも行けないと思います。それに、かんせつきつえんがカンサーや心の病気やはいの問題を起こします。かんせつきつえんは喫煙者より非喫煙者にもっといろいろな病気をゆうはつします。それから、タバコを必ず吸わなければならなかったら キャンパス外ですうほうがいいとおもいます。
 つぎに、キャンパスが汚くなります。たばこをすうひとはたばこをすう後で、たばこのすいがらをどこかに捨ています。法にせんげんされても、いつもすいがらが道路にちらばっています。道路をきれいにそうじするために、お金がかかります。そのお金 がもっといい所に使うことができます。それに、パーデゥーにたづねるひとびとにはたばこをすう人やすいがらを見る時、パーデゥーのだいいちいんしょうが悪くなります。良いイメージを持つために全面禁煙にしなければならないと思います。
 最後に、たばこをすう人のけんこうが非常に悪くなります。そうだから全面禁煙をしてタバコを減らすように助けなければならないとおもいます。すわない人よりすう人は元気問題があります。それに、すう人はよく病気になります。少なくともタバコを減らす努力をしなければならないと思います。タバコをやめることができなければ他の方法を使わなければならないとおもいます。たとえば、ニコチンパッチや、ニコチンガムや、いろいろなきつえんをてつだってくれる使おうとおもいます。
 以上のことから、キャンパス内での全面喫煙を考えました。 喫煙者は 非喫煙者にはひがいをあたえてすいがらはキャンパスを汚します。それに、喫煙者のけんこうにも良くないです。このすべての問題を阻むために、キャンパス内での全面喫煙をしなければならないとおもいます。一日も早くキャンパス内での全面禁煙になってほしいです。

ブリジット・コリンさん

キャンパスで全域禁煙にするべきです

   私は「キャンパスでは全域禁煙にするべきだ」と言う意見は正しいと思います。私のホームタウンはインディアナのコルンブスです。三年か四年か前、コルンブスでは全域禁煙になりました。禁煙は、バーでしかタバコを吸ってはいけませんと言います。この禁煙はたくさん論議を呼んでいって、多い人は禁煙が正しくなかったと思いました。でも、今、禁煙が三年からあるの後で、多い人はうれしくなっています。全域禁煙は私のホームタウンでよかったから、パデュー大学のキャンパスでいいと思います。
私はパデュー大学のキャンパスで全域禁煙で一つ問題しか見られません。この問題は人を規則に従わせる方の問題です。全域禁煙にすれば、全域を見る方は誰かに作られなければなりません。これはちょっと迷惑でしょうが、たしかに、する方があります。この問題以外に、私は色々なキャンパスで全域禁煙にするべきだと思うの理由があります。
まず、タバコを吸うのはなかなか止められませんが、必ずしも不可能と言うわけではありません。ドラッグストアでニコチンんゴミとニコチンんパッチのような色々なタバコを吸い止めるの為に物があります。それに、パデュー大学生はプッシュと言う学生のヘルスセンターに助けを得て行けます。タバコを吸い止めれば、たくさんお金を払ってはいけません。皆の為にタバコを吸う人はタバコを吸い止めればいいのに。タバコを吸うのに病気にならせるから、私はどうして人がタバコを吸うのいつも分かっていません。副流煙は皆の為にとても悪いですから、タバコを吸う人はタバコを吸わない人のことを考えるべきだと思います。何人かの人々がタバコの煙のアレルギーがあって、タバコを吸っている人を通り過ぎるのはアレルギーを悪くなれます。私のようなほかの人は、タバコがくさいと思います。タバコを吸っている人を通り過ぎるの時、息をしないで見ません。それから、たくさん咳かなければなりません。
次、タバコを吸うので、キャンパスは汚くなります。タバコを吸う人は、吸い終わって行った時、たしか、吸殻をゴミにあまり置きません。代わりに、地面の上に投げます。タバコを吸う人はこれをするから、キャンパスは汚く見えます。誰も地面の上でたくさん吸殻を見るの好きではありません。私は、全域禁煙にすれば、パデューのキャンパスがもう少しいきれいになると思います。
私はこれのキャンパスで全域禁煙にするべきだと思います。これをするべきの為に色々ないい理由があると思います。タバコを吸っている人があるキャンパスよりタバコを吸っている人がないキャンパスの方がいいところだと思います。

ミッシェル・プライスさん

公共交通機関

   私はパーデュ大学で公共交通機関を使うべきだと言う論だいで否定側りつろんです。その竜として、第一に、バスが遅いです。第二に、歩くから、体がいいです。第三に、シートベルトがありません。三点があります。
   まず、『バスが遅い』と言う点ですが、パーデュでクラスに行く時十分だけがあります。バスに乗るし、クラスは遅い着けるしまいます。遅い着ける時に、その他の学生をうるさがらせます。そして、パーデュはインディアナにあるか、たくさん雪があるのでバスはよく遅れます。それから、クラスを遅れますから、遅れる時めいわくです。
   先年に、雨が降っていたので、私はバスを乗りたいでした。バスのスケジュールは『七時十五分』に来ます。でも、私は十五分までバスの手に立ちました。バスに来る時、私とたくさん人はとてもおこりました。そして、私はクラスを送れますが、私の先生は『入らない』と言っていました。私は歩いたほうがいいでした。
   次に、『歩くから、体がいい』と言う点ですが、今、学生はコンピューターの前何時間も座るから、歩くのはいいうんどうです。たてものが近いから歩きやすいです。さらに、毎日キャンパスであるけば、やせってなれます。冬時にたくさん病気の人はバスをのっています。病気の人はスニズをするから、バスのハンドルを持ちます。そして、バスを早い止まる時にあなたはハンドルを持ちます。それから、バスを乗るし、あなたは病気になります。私はバスに乗っていた時、私の後ろの人はスニズを私の手にしました。でも、私は毎日にビタミンCをのんでいます。たとえば、私は病気になります。病気になる時、クラスに行くにくいです。バスはとてもきたないです。
   さいごに、『シートベルトがない』と言う点ですが、たとえば、じこの時にとてもあんぜんじゃありません。それから、立つの人もあんぜんじゃありません。そして、早い止まる時に立つ人はおちます。けががあります。車の中にシートベルトがありますが、エアバッグもがあります。バスは一番あんせんじゃありませんところです。時々、たくさんたくさん人はバスに乗っている時、うごきません。でも、バスは早い止まる時にその他の人はあなたの足にステップをしまっています。
   その三点ので、私はパーデュ大学で公共交通機関は不便と思いました。いじょうのことから、私は『パーデュ大学で公共交通機関を使うべきだ』と言ういけんにはんたいします。

ジャスティン・キッズマンさん

洗面禁煙の賛成

   洗面禁煙に賛成です。洗面禁煙はいいと思っています。すう人とすわない人とキャンパスにすうことがわるいです。それで、パーデュー大学は洗面禁煙を使えましょう。 すうことはすう人にわるいです。すうことのために、大学生の中で、十%は早く死にます。そして、がっきにすう人はすわない人より病気になります。それに、すう人はもっとクラスに休みます。そして、はいの病気のリスクが上げます。だから、すうことはすう人にとてもわるいです。
すうことはすわない人にもわるいです。かんせつきつえんは人々にとても迷惑だと思います。毎日、クラスに行ってなら、すわない人はすう人と一緒に行かなければいけません。すわない人はかんせつきつえんににげないでいけません。そして、かんせつきつえんのリスクとすうことのリスクは同じです。それに、はいの病気がかんせつきつえんでもっと上げます。最後に、人はすいたくないたら、その人はすわなくてもいいです。だから、洗面喫煙はすわない人にいいです。
すうことのために、すう人はいつも外に行っていります。それで、洗面喫煙のために、キャンパスにすいにくいになります。それに、すいにくいたら、人々はすいたくない。そして、すわない人はすうことを始まりません。すう人はううことを止めろうとかもしれません。
最後に、すうことはキャンパスにわるいです。すう人はよくすいがらを地に落とします。すいがらはキャンパスを汚します。新しい学生のために、キャンパスは汚そうです。そして、新しい学生はパーデューが元気じゃないとおもいます。きれいになるために、パーデュー大学は人々をいれています。すいがらのために、パーデューはたくさんお金を払っています。それで、パーデューは洗面喫煙を使おうと思います。
つまり、洗面喫煙はとてもいいイデアと思います。すいにくいたら、すう人はすうことを止まろうとかもしれません。洗面喫煙のために、かんせつきつえんがキャンパスに止めます。キャンパスのほけんがあげて、学生はあまり病気になりません。新しい学生はいいキャンパスと思います。それに、キャンパスはきれいになります。だから、パーデューは洗面喫煙をつかえましょう。です。洗面禁煙はいいと思っています。すう人とすわない人とキャンパスにすうことがわるいです。それで、パーデュー大学は洗面禁煙を使えましょう。 すうことはすう人にわるいです。すうことのために、大学生の中で、十%は早く死にます。そして、がっきにすう人はすわない人より病気になります。それに、すう人はもっとクラスに休みます。そして、はいの病気のリスクが上げます。だから、すうことはすう人にとてもわるいです。
すうことはすわない人にもわるいです。かんせつきつえんは人々にとても迷惑だと思います。毎日、クラスに行ってなら、すわない人はすう人と一緒に行かなければいけません。すわない人はかんせつきつえんににげないでいけません。そして、かんせつきつえんのリスクとすうことのリスクは同じです。それに、はいの病気がかんせつきつえんでもっと上げます。最後に、人はすいたくないたら、その人はすわなくてもいいです。だから、洗面喫煙はすわない人にいいです。
すうことのために、すう人はいつも外に行っていります。それで、洗面喫煙のために、キャンパスにすいにくいになります。それに、すいにくいたら、人々はすいたくない。そして、すわない人はすうことを始まりません。すう人はううことを止めろうとかもしれません。
最後に、すうことはキャンパスにわるいです。すう人はよくすいがらを地に落とします。すいがらはキャンパスを汚します。新しい学生のために、キャンパスは汚そうです。そして、新しい学生はパーデューが元気じゃないとおもいます。きれいになるために、パーデュー大学は人々をいれています。すいがらのために、パーデューはたくさんお金を払っています。それで、パーデューは洗面喫煙を使おうと思います。
つまり、洗面喫煙はとてもいいイデアと思います。すいにくいたら、すう人はすうことを止まろうとかもしれません。洗面喫煙のために、かんせつきつえんがキャンパスに止めます。キャンパスのほけんがあげて、学生はあまり病気になりません。新しい学生はいいキャンパスと思います。それに、キャンパスはきれいになります。だから、パーデューは洗面喫煙をつかえましょう。

クリスティーン・キムさん

パデューの社会問題

   私はパーデユー大学のバスに乗るべきであるという論題で肯定側立論をはじめたいと思います。そのりゆうとしてだいいちに、パーデユーのバスは安全です。だいにに、パーデユーバスは便利です。だいさんに、パーデユーバスに乗れば地球汚染から助けます。
まず、パーデユーのバス運転者は遅いで運転をしますから、安全です。図書館に夜中まで勉強した時、ブラクループがあるので安全に寮に帰れます。そして、週末にパーテイーがたくさんありますから、酔っ払いな人がたくさんあります。あの人が運転をしたら、とても危ないです。ですから、バスに乗るべきであります。
次に、パーデユーのバスは便利です。大部分学生は車がありません。買い物に行きたいたらバスで買い物に行けます。水や食べ物がないし、バスでワルマートに行けます。
さいごに、パーデユーのバスに載れば地球汚染から助けます。もっと車をつかればもっと汚染が上昇になりますと思います。オゾンをはいかいしたくなければ公共交通機関を使うの方がいいと思います。
まず、いろいろな人は冬にバスはとても遅いと言います。真実です。でも、便利と安全、どちらが一番大切ですか。私は便利より安全がもっと重要だと思います。パーデユーのバス運転者も安全が一番大切だと思いますから、安全運転をします。全部皆さんの安全のために遅いで運禅します。ですから、次にバスに乗る時パーデユーのバス運転者に言えばいいと思います。
次は、大分学生は車がありません。ですから、バスがあります。このバスに乗ればどこでも行けます。大学生はお金がないから、節約しなければいけません。車があったら、駐車許可証可証を買わなければないし、ガスも買わなければいけませんですから、とてもお金がかかります。駐車場を調べなければないんですから、お金も時間も節約もっとかかります。
公共交通機関を使うことは地球汚染からたすけてですから一番いいの方と思います。オゾンはどんどん破壊になります。ですから、皆さんといしょに公共交通機関をつけばいいと思います。 パーデユー大学のバス運転者は安全が一番大切だと思いますから雪にとても遅いです。そして、夜中に外にいえば、バスに乗ればいいです。そして、バスに使えば地球汚染からたすけています。ですから私はパーデユー大学のバスに乗るべきであるという論題で肯定側立論をはじめたいと思います。

ティファニー・ジェンさん

社会問題

   パデュー大学の社会問題は公共交通機関です。私は、公共交通機関は、パデュー大学で使う必要がないと思います。理由は三つあります。まず、パデュー大学のキャンパスはクラスや店から近いので、歩きやすいです。次に、冬の時に、バスは遅いです。そして、シートベルトがないので、きけんです。
パデュー大学のキャンパスのビルは離れていないので、車やバスではなくて、歩きやすいです。時々、遠い所に行かなければならない時は、車やバスを使わなければならないかもしれません。しかし、授業やチョンシーやウォーバシュランディングまで車やバスを使わないで、歩けます。それに、歩くのは運動です。今、大学生はたくさん宿題やテストがあるので、体育館に行って運動する時間がないかもしれないし、そして、学生はコンピューターの前に、何時間も座るので、歩けばいいです。それで、毎日、キャンパスで歩けば、体がよくなって、やせるようになります。
次の理由は、冬の時に、バスが遅く走ります。インディアナの冬は、たくさん雪がふります。雪がある時、道にはこおりやスラッシュがあります。それは運転する時に、とてもきけんだから、ゆっくり運転しなければなりません。つまり、雪があるので、バスはよく遅れます。それで、授業にも遅れるわけです。それはとてもこまります。私は、冬の時に、たくさん服を着て、授業に歩いて行くので、ぜんぜん遅れません。
最後の理由は、バスの中にシートベルトがありません。たくさんの人は、車の交通じこの時、シートベルトはいのちを助けます。つまり、バスは大きくて、たくさんの人がいるので、交通じこの時、シートベルトがないと、本当に大変です。大きいじこがあれば、たくさんの人はけがをするかもしれません。そして、バスの中に、たくさん立つ人がいるので、交通じこの時、とても安全じゃありません。それに、大きい交通じこじゃなくて、小さいじこの時にも、けがをするかもしれません。たとえば、バスは早く止まる時に、人はたおれます。だれも悪いこうつうじこをするかどうか分からないので、車やバスの中にシートベルトがあるべきだと思います。
毎日、歩けば、体によくて、元気になります。歩くのはいい運動という以外の理由は、冬の時に、バスが遅れた時、授業に遅れないという理由です。そして、バスの中にシートベルトがないので、あんぜんじゃありません。全体的に、必ずしも車やバスが悪いというわけではありません。しかし、パデュー大学で公共交通機関は、使う必要がないと思います。

2009年10月31日土曜日

クレビア・シンさん

悲しくって嬉しかった日

先週の土曜日でした。私の誕生日にだったからボーイフレンドと一緒にシカゴに行く予定でした。私達は宿題が多くて一日だけ行くつもりでした。土曜日の朝、六時に早く起きて行く準備をしました。ボーイフレンドは車がなくて私が運転しました。二時間ぐらい運転後にシカゴのダウンタウンに到着しました。問題がダウンタウンに来て始めました。私たちはシカゴは初めてで、何も分からなかったです。まず、駐車料が高過ぎてそのあたりを回りました。十四ドルを払って、友達が知らせてくれたショッピングモールに行きました。ほしい物が何もなくて結局昼ご飯だけ食べて出しました。分明、友達が大きい所だと言ったが思ったより何もなかったです。がっかりしたままクラウドゲイトと言う有名な造形物がいる公園に向けました。次に、ネイビピーアと言う大きい公園も行ったが、駐車ができなくて何もできなかったです。何もできなくて、こちんと来ました。ところで、ボーイフレンドはしきりに行きたいモールをさがしてみようと言いました。友達に電話をかけて住所も問うって見たが、せんないでした。二時間ぐらい探さなかったでした。でも、ボーイフレンドはずっとさがしくほしいでした。わたしはもうちょっと頭にました。けっきょく、正しい住所に行き始めました。私が運転して、ボーイフレンドが地図を見ました。今度は道をおやまち知らせてくれました。本当に非常に頭に来たら、泣きたいでした。ボーイフレンドはおやまったが、もう怒り心頭にはっすりました。家に帰ろうと思いましたが、私もモールに行きたいでした。ついに、家を出る十二時間後で、モールに到着しました。モールが閉まる二時間ぐらい前にショッピングを始めました。とても大きいなモールなので、気分がよくなりました。二時間以内に、いろいろな服を買いました。本当に早くショッピングをしました。九じになっては晩御飯を食べました。家に帰るとき、わたしはとてもつかれて、車内にうとうとと眠りに込みました。私にかわって、ボーイフレンドが運転しました。私たちは一時になったら到着しました。ボーイフレンドにありがたくとおもいました。 悲しくて嬉しかった日でした。次にはシカゴに行くとき、友だちを信じないで、自分でじゅんびをすると思います。

ニッキー・ラフューズさん

ディズニーワールドの旅行

高校の時、私のサークル活動はマーチングバンドでした。私は4年間マーチングバンドをしました。2年ごとに私の高校のマーチングバンドがディズニーワールドに行きました。私達はディズニーワールドから上演するに招待されました。

ごぜんちゅうは、私達は「Magic Kingdom」というゆうえんちに行きました。とても楽しかったと思いました。私達はバックステージに行きましたが、それはひみつです! 誰もバックステージについて知ることが出来ません! しかし、私はあなたを少し教えます。ディズニーワールドに働けば、どりょうはどりょうじゃありません! ディズニーワールドでどりょうは「キャストメンバー」です。「キャストメンバー」しかと言いません。スタッフはよく「皆さんはディズニーキャストメンバーがいました。忘れないで下さい。」と言いました。

バックステージでむりょうTシャツをもらいましたが、大きすぎました。残念でした。

後で、私は友達とエプコットに行きました。エプコットが大好きです! 1つの所でたくさん国におとずれられます。とてもきれいな所だと思います。エプコットの日本に行きましたが、下手の日本語を使いました。私はその時に日本語のコースを取りませんでした。今、私がそれについて考えることですが、とてもはずかしいを感じます。私はエプコットの日本に友達のためにファンを買いました。

夜に、Magic Kingdomに私達はマーチングバンドに会いました。マーチングバンドの制服を着ました。バックステージでパレードをくみたてました。ディズニーキャラクターがたくさんいましたが、私もディズニーお姫のコスチュームを着たいでした。パレードが始まる時、私は子供の顔を見て、子供たちはとてもうれしいと思いました。私達はパレードをしました。花火がたくさんありましたが、たたずめません。残念でした。これはきれいな夜でした。

2009年10月24日土曜日

シャーリー・ユーさん

長い十八時間

   お名前はユー・シャーリーと申しまして、香港からきました。二十一年前に私の母は香港で私が生まれました。その時、私の家族はアメリカに移住したいので、移住の用紙を記して、それから、総領事に送りました。十一年後、一九九九年九月、総領事から手紙を受け取りまして、家族の要求を承諾しました。でも、二千年六月は締め切りでしたから、これについてはすぐに決定を下さなければならなかった。すぐに、両親は二千年五月でニューヨークに行くのか決めました。ですから、旅行代理店に行って、飛行機切符を買いました。私と姉は日本の音楽を大好きし、東京かソウルで立ち寄るが選択をあったから、二人は東京で立ち寄るが選びました。
   二千年五月三十一日、家族と一緒飛行機でニューヨークに行きました。私は飛行機に乗るのは初めてだので、ちょっと緊張し、心配し、嬉しいように感じました。香港からニュ—ヨークまで、十八時間ぐらいかかったので、本当に長いと思いました。その時に、たくさんことを考えました。例えば、ニューヨークはどうですか。ニューヨークがとても有名場所ですが、人はこの場所怖い場所だと言いました。そして、天気がどうですか?冬の時に、この場所がとても寒いだと言う人がいました。当時、香港が好きなので、悲しくて、ちょっと悪い感じがあったけど、大丈夫です。
   あの時、私は小学校の三年生でした。アメリカに移住をすることが知る時、とても嬉しいでした。新しい場所に行くので、友達と離れのは気がつかなかった。それ思えた時は自分を大嫌いの感じでした。それに、何も心配ないので、あの時は自分を馬鹿と思いました 。例えば、言葉も、学校も、生活環境も香港と違います。同じ日に私は学校に行って、自分の物を携帯しました。最後に私は先生に、級友に「さようなら」笑って話すことを嬉しかったです。離れる時は笑ってはいいと思いました。
   ニューヨークに着く後、私たちは早く新しいなアパトに行きました。おじは家具を買ったので、いい気持ちと思いました。香港とニューヨークの家はちがいます。例えば、香港のアパドはあまり小さいでした。ニューヨークの家を見た時、びくりた、とても大きいアパドでした。あの晩、おじさんとおばさんと一緒に昼ご飯をレストランで食べだから、アメリカの街路に歩きて、ブルックリンを見ました。ちょっとびくりた、たくさん中国人を見た、皆は広東語を話しの感じでした。私たちは中国料理を食べました。
   その日に、私の人生は変われたから、日記を書きました。それに、友達に紙を書きました。長い手紙を友達に送りました。悲しいや、嬉しいな日でした。夜中に、飛行機に考えたことをまたベッドに考えました。友達を思い時は泣きました。ニューヨークにが初めて行くたんだった、早く香港に帰るのは欲しいでした。しかし、「無理なあ」自分に話しました。
   ニューヨークに行った時は五月だから、九月まで学校に行きませんでした。つまり、その三ヶ月は私の夏休みだ、小学校生にはとても長いです。時々、マンハッタンに行った、英語を聞った、私は英語を上手じゃないだから、怖なように感じました。それに、香港の友達と親類に会いそこないました。その長い夏休みは毎日姉と家で英語を頑張って勉強しました。両親は私に「毎年夏休みに帰国するはいい」約束しました。実は、そのことじゃないです。

ブリジット・コリンズさん

   遊園地で一日

   高校の三年生の時、アドバーンスト物理学の授業を取りました。年の終わりで、二年生の物理学の授業はファイナルプロジェクトのためにケンタキキングダムの遊園地に行って、三年生の学生も行かせました。二年生の授業は、遊べる前に、遊園地でたくさん宿題をしなければならなかった、でも、三年生の授業はアドバンスト授業のに、宿題がなかったから、遊園地に着かった時、そくざに遊べました。それに、遊園地にどこかに行けかたから、私たちはとても楽しい日があると思いました。
バスを乗りながら、遊園地に着く前に、二年生はたくさん宿題をしていた、でも、三年生はわらって、ジョークを話していました。二年生はちょっとおこったと思います。
遊園地に着いた時、先生は「宿題を亡くさないで、二人三人のグルップに行ってください」と言いました。二年生は宿題のために乗らなければならなかったのライドに行ったけど、三年生はローラーコースターのように楽しいライドに行きました。友達といっしょうに遊園地を歩いていました。
まず、私はスクラーンブラーと言うライドを乗りたいから、私のグルップはそのライドを一番乗りました。そのライドは、たくさんうででシートを三があって、うでとシートは早くスピンしました。私はそのライドはとても楽しかったと思ったけど、サマーンサーと言う友達は、スピンが好きじゃないから、ちょっと病気になってしまいました。サマーンサーちゃんは「ローラーコースターのようにライドのほうがスピンしているのライドより好きです」と言いました。それで、私のグルップはとてもこわいローラーコースターを乗ることをしました。みんなはうれしくて、気が立ったけど、私はいつもローラーコースターを乗らなかったから、とてもこわいと思いました。
私は「あのう、そのライドはちょっと高そうです、ね。バンパーカーズを乗ればいいのにと思う」と言いました。ジョンと言う友達は「いいえ、バンパーカーズはつまらないです。みんなはこのライドを乗りたいから、キューに待ちましょう」と言いました。それで、乗りたくないのに、キューに友達といっしょうに待って、うれしくなくなりました。ジョン君は「心配しないで下さい。必ずしも高いのライドはこわいと言うわけではない」と言ったけど、私はまだ心配しました。
そのライドはループが二つがありました。ライドの電車は駅でループを行って、それから、もう一度ループを後ろ前に行きました。私は乗りながら大きい声でさけんでいました。ループで目を開けられませんでした。そして、駅に帰った後で、足がふっているから、五分で歩けませんでした。でも、それ後で、そのライドは楽しかったと思いましたよ。みんなはもう三回に乗りました。
その日は私の一番ローラーコースターを乗りました。ちょっとこわくて、でも、とても楽しくなりましたよ。

ティファニー・ジェンさん

   私の面白かった一日

   高校の二年生の夏休みの時、家族と初めて日本に行きました。日本でツアーでいっしょに観光しました。私の面白かった一日はおんせんのホテルでした。
その日に、大きいホテルに泊まりました。このホテルはおんせんがありました。私は聞いた時、「楽しいそうだなあ」と思いました。そして、ホテルに着く前に、ガイドはたくさんきそくを教えてくれました。きそくの中で、一番きらいだったのは、おんせんに入る時、服やみずぎを着てはいけないことでした。そして、おんせんでは、みんないっしょに同じおふろに入らなければなりません。つまり、私は、アメリカで生まれて、育ったので、何も着ないでみんないっしょにおんせんに入るのがすごくはずかしいと思いました。しかし、おんせんに入りたかったです。それに、いつまた日本に行くか分からないので、たくさん日本文化を経験したかったです。
ホテルに着いた時、日本の文化を経験しました。たとえば、私たちの部屋はたたみがあって、ゆかたを着ました。そして、私は日本のおんせんの文化は全部経験したかったので、しにくいことにしました。仕方なかったです。その晩中におんせんに入ることにしました。
ホテルはうちゆと外のおんせんがありました。午後、私は一人でうちゆに行くことにしました。母と妹と、いっしょに行きたくなかったから、一人で行きました。その新しい経験は、少しはずかしくて、しかし、面白かったです。おんせんの中で、たくさん日本人のおばさんがいたから、少しだいじょうぶでした。おばさんたちは、何年もおんせんに入ったことがあるから、はずかしくなっかたと思います。そして、おんせんに入る前に、みんな同じ所でシャワーをあびました。おんせんに入った時、すごくきもちがよかったです。その後で、外のおんせんをさがしました。そのおふろが小さかったから、だれもいませんでした。日本人は大きいおふろが大好きらしいです。でも、やっぱり、私は自分のプラバシーがほしいです。私は、そのおふろがいい所だと思いました。これはおんせんの経験でした。この日本のおふろの経験はとても面白かったです。必ずしもこの文化が悪いというわけではありませんが、私はおんせんに知らない人といっしょに入りたくありません。
この経験以外にもいろいろなことをしました。ホテルで、おいしい日本料理を食べたり、おいしいおもちを作ったり、夜にふとんで寝たりしました。これは初めて日本のふとんで寝た経験でした。
   本当に面白かった一日でした。少しはずかしかったですが、日本に行ったら、日本文化を経験するべきだと思います。

オッテン・ブライアンさん

私の一番好きな春休みだ

   子供の時から中学校の時まで、 毎年の春休みに私と家族はたいていどこかに行きました。 しかし、あの時は私がまだ若かったので、どこに行けばいいか決められませんでした。家族はフロリダ州が好きなので、よくそこに行きました。 けれども、私が大学生になってからは、友達と旅行する方が好きです。 
去年の春休みの前に、私と同級生は何も春休みの予定がありませんでした。だから、 ケリーはサンフランシスコに行くことにしました。サンフランシスコは行ったことがなかったし、カリフォルニアで働きたいし、それに景色が美しいし、本当に行きたかったんです。 ケリーのルームメートとルームメートの彼氏も行きたいと言ったので、カリフォルニアに行くことにしました。ケリーのルームメートの名前はステファニーで、ステファニーの彼氏の名前はデービッドです。ケリーは飛行機でサンフランシスコに行くことになりましたが、私とステファニーとデービッドはどうやってサンフランシスコに行くか未だ決めていませんでした。 ドライブをすることを考えていましたが、 私たちはドライブをするのは時間がかかりすぎると思ったんです。 それで、 その時は飛行機のチケットが安かったので飛行機でサンフランシスコに行くことにしました。私はケリーと一緒に行って、デービッドとステーファニーも一緒に行きました。
サンフランシスコに着いた後で、観光のために車を借りました。 借りる車によって、高くなれます。 普通は、車がよければよいほど、高くなります。 借りた車は一番高いのじゃなかったんですが、とても立派な車だったと思います。実は、私たちが泊まった家は空港からあまり遠くなかったので、家に行くのは長い時間は掛かりませんでした。
旅行の間、二、三度ぐらいサンフランシスコのダウンタウンに行きました。カリフォルニアは急な坂で有名なので、サンフランシスコでドライブをすることが特に怖いと思っていました。 しかも、 ドライブしていた車は私の車じゃなかったので、本当に心配していました。サンフランシスコでは買い物をしたり、観光をしたり、埠頭に行ったりしました。サンフランシスコに行ったのは初めてだったなので、みんなが面白かったです。
後で、ステファニーとデービッドが着きました。彼たちは私が借りた車を見たら、びっくりして、 「すごいなぁ」と言いました。それから、ケリーの妹さんの友達も着いたので、家がちょっと込んでいたんですけど、かなり楽しかったです。 
   ステファニーとデービッドはまだサンフランシスコに行ったことがなかったので、もう一度サンフランシスコに行きました。そこにいる間に、 写真をたくさん撮りました。 また、 皆は日本文化が好きなので、日本町に行きました。 日本町と中国町とずいぶん違いました。 私たちが行った時は日本町はあまり込んでいませんでした。 しかし、必ずしも人が少なかったら、町がつまらないと言うわけではありません。夏休みの時に、日本町はもっと込んでいるだろうと思います。中国町も面白くて、楽しかったですが、 日本町のほうが中国町より好きでした。 結局、 最後のことは、 ナッパバリーと言う所へ行きました。たくさんの緑があったし、しかも山もたくさんあったし、そこにはすごく美しい景色がありました。
ケリーの妹さんはボストンに帰ることになったので、みんなは午前の四時まで起きていました。 私は寝た前に、ケリーの妹さんと別れました。 
人は時間があれば、なるべくカリフォルニアに行くべきだと思います。 そのうちに、もう一度サンフランシスコに行ってみたいです。 カリフォルニアに早くいけば行くほど、いいと思いますね。 

ジャスティン・キッズマンさん

   変な日

   最近、ヘンナ日がありました。その時に、何も変じゃなかったです。その朝に、九時ごろ起きました。両親と話しまして、シャワーをはびました。後で、両親と使いをしました。
   初めて、私たちはワールマートに行きました。大学にもっていく飲み物を買いました。お父さんは車を治す物を見つけなら、お母さんとハーローウィンのふくを見ました。私たちはお母さんの友達のプレゼントをさがしていました。
   次、兄さんの家に行きました。めいわくなために、私たちはそこにいきたいです。でも、兄さんは私のよることが大好きだと思います。一時間ぐらい兄さんの家に泊まりました。
   今は少しく変になりました。ベストバイーにいきたいから、私の両親はベストバイーにつれ行きました。着けた時に、私の上司を見つけてしまいました。上司は私に「サンクスギビングの休みに働かなければいいです。」と言いました。そして、チェックをもらいました。でも、三か月から働いていませんでした。まだ私はそれを分かりません。終に私はわりびきを使えます。とてもラッキーでした。
   出来る時に、私は友達と話しかけました。友達は私がわりきをつかわられて、チェックをもらわれて、働かなければいいて、困っていました。それはじょうだんです。友達は私とそのことを笑いました。
   その後で、私のたんじょうびのために、私は家族とガールフレンドとレストランに行きました。とても楽しかったです。それまでに私の家族をあまり話しかけれないです。私は大学を家族とはなしました。そして、兄さんはけっこんするよていことが話しました。ずっと面白かったです。
   レストランに出きった後で、私はガールフレンドと友達のパーティーに行っていました。でも、私のガールフレンドが私を落ちってしまいました。それで、ガールフレンドの家につれ帰りました。あまりうれしくなかったです。
   その夜に、私は友達たちと遊びに行きました。オルドシカゴーと言うレストランに行きました。ストリーを言ったりビールをのんだりしました。それは楽しかったです。後で私の家に帰りました。私の家に入りなら、私の足のゆびをドーアでぶつけられて困っていました。私の足のゆびをおってしまいました。いい終わり方その日だと思いました。それから、両親とはなしかけたり、ねるふくをきがえたり、コンピュターをしたりしました。そして、私は寝入りました。

フォンユー・ハンさん

思い出の一日

   私は小さい頃から父の仕事の為に中国に引っ越して、そして高校までずっと国際学校で勉強しました。所謂国際学校は、外国人だけ入学する事が出来るやアメリカかイギリスの教育制度を使うなどの学校です。私の学校はアメリカの教育制度を使っているので、アメリカにある休暇と祝いが私の学校にも大体あります。
   毎年学生会はハロウィーンイベントを主催するのが学校の伝統です。そして高校の時学生会の副会長になった私は、ハロウィーンイベントの仕事をするべきでした。イベントの第一部分はムードを作る為にホラー映画を見せたいと思いました。でも観衆は高校生なので映画は乱暴過ぎるのはいけません。適当な映画を選ぶ仕事は、先生が私に任せさせました。
   実は私は鬼が怖いです。克服したかったが、なかなかできませんでした。吸血鬼や悪魔など西部の化け物は信じませんので全然平気ですが、東部の鬼が怖いです。もし西部の化け物が本当にいれば東部の鬼と違って、色々な倒す方法があります。吸血鬼は大蒜や十字や銀の弾丸などが怖い事が知っています。悪魔も十字が怖いので、家に十字があれば吸血鬼と悪魔が倒せるのは一石二鳥です。でも鬼と会う時はどうすればいいのか全然分かりません。実体がないし、いつかどこか出て来るのが予測できません。それに映画によって普通の武器も害を与えられないらしいです。つまり、何も使っても自分を守れません。じゃあどうすればいいんでしょうか。以上の理由で、私は鬼が怖いです。
   昔家族と一緒に「花子」と言うホラー映画を見えていた時、鬼が出て来た瞬間私はとても怖かったが、逆に父は我慢できなくて大爆笑しました。それから長い間ホラー映画をあまり見ないようになりました。しかし映画を選ばなければなりませんので、仕方がありませんでした。大部分の学生はアジア人なので、私は英語サブタイトルがあって、人気があった日本のホラー映画を選びました。
   その夜私は一人で居間にいました。兄はもう卒業してパデューに来て、そして両親は旅行に行きました。平日の夜だったので、友達を呼ぶのは良くないと思いました。だから私は一人でソファに座って映画を見始めました。まず「呪怨」と言う映画を見ました。怖かったが、何となく堅持して最後まで見ました。次は「リング」と言う映画。DVDは大体メインメニューに入る前に短いビデオがあります。リングの短いビデオは本当に自分のテレビが壊れたような壊れたテレビスクリーンです。メインメニューに入るのを待ちながら、少しずつ不愉快になりました。三分が経過しましたが、何も変えませんでした。わざとかなと思ったが、「そうじゃない」と感じしました。
   五分が経過しました。暗い居間で不気味な光が閃いて続けました。沈黙の家で壊れたテレビの雑音が堪れなくなってしまいました。もう待たないと思って、リモコンを取って「SKIP」のボタンを押しました。何も変えませんでした。もう一度押した、二度、三度…でも壊れたテレビスクリーンは続けてしまいました。空気は重くなりました。闇に誰かが私を見ている視線が感じました。いるかいないか、冷汗がかきました。「もうやめよう!」と思いながら「EJECT」ボタンを押しましたが、変な事が起しました。DVDは出て来ませんでした。気が狂っていた私はソファから飛んで、テレビを消しました。
   それから私は怖すぎて動けなくなって、母が電話したまでにずっとテレビの前に座っていました。母の声を聞いたと、とても安心になって、動けるようになりました。話しながら、私は居間から逃げました。
   その日は、今まで一番怖かった一日でした。

クリスティーン・キムさん

私の人生中一番重要な時

   私は一九ハ九年ニューヨークで生まれて、七年間ニューヨークに住んでいました。七年後、私の家族は韓国に引っ越しました。韓国で小学校に行って、たくさんの友達に会いました。 でも、六年後に、父の“教授交換プログラム”のために、家族はもう一度アメリカに行きました。“教授交換プログラム”は一年間だったために、サウスベンドで一年間すんでいました。私は英語が上手じゃなかったし、私の友達がいなかったし、学校生活はとても大変でした。昼ごはんを食べる時と宿題をする時も全部一人でしました。とても孤独な時でした。でも、英語を勉強したし、せいせきがとかったし、たくさんの友達ができました。まだ彼らの名前を思えています。
   一年後に、私の家族は韓国にかえらなければいけませんでした。でも、私はアメリカに住んでいたかったから、両親の許可をもらって、私だけホームステイをして、アメリカにのこしました。ホームステイはとてもたいへんでした。ホームステイのホストはとても厳しいし、老人し、ホームステイの生活はとても難しいでした。三月間ホームステイをすることを悲しみするために毎日両親と電話をする時泣きました。多いストレスために私の成績はどんどん落ちりました。でも、重要なことを悟りました。難しいの決定にもかかわらず、両親は私の未来のためにアメリカで私だけ残しました。両親は私に信頼してから、もっともっとがんばってしなければいけませんでした。この時に私は私と戦いをかちしなければいけませんでした。実感して勉強したら、結果はよかったでした。とても多い友達を知り合いし、私の成績は上昇なりました。テニスもミュージカルをしたら、学校は楽しいなりました。六年後で、高校に卒業しました。私、その六年間もっと多いことを習いましたと思いました。両親は私をとても愛するためになんでもしたいし私と戦いことは難しいことを習いました。韓国では習えませんことでした。この時はまだ私の人生中もっと大変な時とか思います。でも、この時はまだ私の人生中もっと重要な時とか思います。

ジョナ・ウィルソンさん

大学の初日
私はとても面白くと思っている日が大学の初日です。私は一年生である時にヨーングと言う寮に住んでいました。私の田舎からパーデューキャンパスまで二時間ぐらいかかります。パーデューは学期を始まる前にBGRと言う手ほどきがあります。私は早く田舎を出るためにBGRに出席しました。今、BGRに行った事が間違いだと思っています。ヨーング着いた時に寮に入京するために人が多くて待っていました。皆は興奮していましたが私は興奮事や嬉しい事などがあまり好きじゃありませんので困っていました。ヨーングのロビーに行って私の鍵を取りに行って私と両親と私の部屋の事もエレベータね入りました。ヨーングは十回で私の部屋が十回にありました。エレベータを出た後で左に曲がって廊下の先に歩いて私の部屋は最後の左にありました。部屋番号はまだ覚えていて1056でした。廊下にほかの人は誰もいませんでした。私と父は私の所持品を仕舞いました。母は車を動いて部屋に帰りました。所持品仕舞った後で父と私は賭けを賭けました。私は両新に電話をすれば五ドール父に払わなければなりませんでした。父は私に電話すれば同じ掛金を私に払わなければなりませんでした。賭けた後で両新と抱き締めて両新は部屋を行きました。私の部屋は大きい窓があって両新の車を見えて行っている時に両新を見ました。両新を見えない時に体を無感覚になって嬉しくなって遂に自由になりました。廊下に誰もいなかったので自分の部屋を組織してインターネットを創設しました。ヨーングのインターネットを創設事がちょっと難しかったが私は頭がいいので問題がありませんでした。誰もいなかったので私はちょっと飽きたになってインターネットを拾い読みしました。でも、拾い読みするのが早く飽きたになったのでキャンパスの進歩をするにしました。ヨーングのトンネルで歩いてパーデューメモリアルユニオンへ行きました。パーデューメモリアルユニオンから宛先がないでキャンパスに探検しました。二時間ぐらいかかってヨーングに帰りました。部屋に歩きながらほかの人を見ましたが、紹介をしませんでした。私に話したけば、私の部屋に行けると思いました。この晩音楽を聞きながらクリースと言う隣人は私の部屋に行って紹介をしました。クーリスと私は同じ音楽が好きでROTCも一緒にする事にしました。私はクーリス出た後で寝る事にしました。次の日BGRため早く起きなければなりませんでした。この時嬉しかった。私は大学に遂に入りました。

ケイティー・プーンさん

思い出の一日
   今年の八月一日は今までで一番うれしかった一日でした。友達のクリスティーナの勤めている会社でインターンシップして初めて、友達の引っ越しを手伝いました。
一か月ぐらい前に、クリスティーナはラマアイランドに住みたいと考えていました。ラマアイランドは香港にある二番目に大きい島です。この島の空気はきれいで、人が少なくて、静かです。また、香港の中心地から船に乗って二十分で行くことが出来るので、とても便利です。クリスティーナは六月中旬にラマの旅館に六泊すると、この島に住むことに興味を持つようになりました。私のおじさんはラマで生まれて、育ちましたから、安くて、いいアパートを探せました。
クリスティーナはとても忙しかったけど、八月一日までに、たくさん準備をしなければいけませんでした。私たちは仕事の後に、様々な家具を買って、引越し会社に電話して、船の会社に連絡しなければいけませんでした。私はそれらのことをしたことがないので、ちょっと大変でしたが、おもしろいと思いました。
八月一日に同僚と八人で一緒にクリスティーナを手伝いました。私たちはラマのフェリー乗り場で家具や、彼女の物を待ちました。この島の道は狭くて大きい車が通れないので、引っ越し会社の人は来ることが出来ませんでした。それで、おじさんの友達に頼まなければいけませんでした。おじさんの友達は小さい車で家具を運びました。
クリスティーナのアパートは丘の上に立っていて、フェリー乗り場から遠かったけど、丘をみんなで歩いて登りました。しかも、香港の夏はとても蒸し暑いので、大変でした。私たちアパートに着いてから、家具を自分たちで組み立てました。私は初めて自分でベッドや、いす、たんすを組み立てました。それはおもしろい経験でした。
その後、私とクリスティーナと二人で日用品を買いに行きました。この島に住んでいる人が少ないので、日用品を売る店はたぶん三つしかありません。店の外でクリスティーナは小学の同級生に会ってびっくりしました。その同級生はラマアイランドに五年間住んでいると言いました。同級生と話した後、アパートに帰って、掃除を始めました。アパートはあまり大きくないので、掃除をしやすかったです。
六時間で働いてから、私たちは疲れて、おなかが空いてきました。クリスティーナはみんなと海鮮を食べることにしました。ラマの海鮮料理はとても新鮮だから、有名です。えびや、ハマグリ、ホタテ貝、ロブスターを食べました。そのレストランは海の近くにあったから、景色がとてもきれいでした。それで、写真をたくさん撮りました。それから、私のおじさんに「ありがとう」と言ってから、フェリーに乗って家に帰りました。
私たちは全員疲れましたが、自分たちでたんすを組み立てるといったおもしろい経験が大好きなので、その日は今までで一番うれしかった一日だと思いました。

セイディー・スミスさん

私の一番面白かった一日  

  今まで、私の一番面白いの日が京都で観光旅行するの日です。私の高校は五月の期間と言う休みがありました。五月の期間に面白い授業を取るか海外旅行をしました。私は高校の四年に日本語の授業のクラスメートと十日に日本へ行きました。ひろしまと京都とならと東京とにっこに行かったのに、京都で観光旅行することが一番面白かったと思います。
  まず、私の日本語の先生のお兄さんに会いました。まつりさんと言うお兄さんの人はとても親切な人です。先生は京都の場所と道が知らないので、まつりさんが私達に手伝いました。それから、三十三間堂と言う有名なお寺に行きました。お寺の中で三十三間堂が少し違うと思います。三十三間堂の中に一千一つのぞう(statue)があります。そのぞうはぶっだのメッセンジャーのイメージに作るですから、ずうが何も同じではありません。それで、私は三十三間堂の歴史がとても面白いと思います。次にレストランで昼ご飯を食べました。私のおべんとがとてもおしかったですがおはしで食べにくいでした。
  昼ご飯の後で、清水寺と言う大きいお寺へ行きました。そのお寺はレダルでいい水を飲むことが出来ます。清水寺から京都を見解見ていったですから、とてもきれいでした。そして、庭(garden)の池にこいと海ガメがたくさんありました。清水寺にはたくさん建物と会談(stairs)があるので、算法をしってから、疲れるようになりました。午後に、二条城へ行きました。二条城の中には、かべとてんじょうにすごい絵があります。その絵には金ばく(gold leaf)ときれいな石を作りました。二条城の作る時、どろぼうを入られない事がほしでしたから、キーキー言う地価やかっくされた部屋や作りました。そして、とてもきれいなにわがあります。私は二条城の中でいい写真を取らなかったので、はがきを買いました。
  それから、京都のダウンタウンで友達と歩いていました。京都駅を行くみたいでしたが、まず駅に行きました。京都駅は当たらしビルですから、京都のような古い町に少しおかしいんじゃないかと思いました。でも、テラスとスカイワークから京都のダウンタウンを見ることが出来ます。私はその事がとてもきれいでした。そして、買い物をしました。小さい店が同じおみやげを売りました。日本の大きい町で、パチンコと言うゲム所がたくさんたくさんあります。パチンコをすることが難しいすぎるだったので、パチンコをあまりしませんでした。最後に、ホテルに帰りました。

ミッシェル・プライスさん

私の一番楽しかった一日

  私の十八才の誕生日は一番楽しかった一日でした。私の誕生日は四月三日ですが、春休みにありました。私の祖父母はフロリダに住んでいるので、昼休みに私と私の友達(バートンとジョセフとジェイコブ)はフロリダに行きました。私たちは色々なところに行きました。フロリダにカイヤキングをしたり、たくさん食べ物を食べたりしました。
私の誕生日の朝に私の友達は私に起きながら、『お誕生日おめでとう』を歌いしました。バートンは『今日はいい天気になりそうだ、ビーチをしましょうか。』といってしいました。でも、ジェイコブはビーチに座りだけというが好きじゃない、面白いのほうがアクティビティをしたいでした。ジョセフもつまらないと思っていました。そして、ビーチに行って、カイヤキングをして、中国のビュッフェに行くことにしました。
おいしい朝ごはんを食べた後で、ココビーチに行きました。八時の前に行くので、私たちだけにいました。二時間、三時間ぐらいまでにすなにねました。(私は寝むことが好きです。)けれども、その海はつめたすぎるですが、隣の中国のビュッフェに行きました。
ビュッフェに行くながら、コンビニにとまっていました。コンビニで私の初めてのふくびきのチケットを買いました。私は『ウイナー』でした!二ドルでした。ビュッフェにたくさん面白くて変な食べ物がありました。私の一番好きなビュッフェの食べ物はかきのからの中にかにとかきにあります。おいしかったです!男の子にいるので、私の友達はたくさん、たくさん食べ物を食べました。でも、必ずしもよく食べればふとっているというわけではありません。食べすぎた後で、カイヤクのところに行きました。
カイヤクのところでライフベストを持ってカイヤクに入りました。二人や一人のカイヤクがありますが、私たちは一人のカイヤクがほしいでした。まず、初める前にパドルのし方を教えていました。まもなく、マナティーのクループにみました。私はマナティーを見るの初めてでした!子マナティーは私のカイヤクの側に泳ぎました。マナティーはおきい、でもとても親切です。後で、私の祖父母の家に帰りました。その家で、私のお祖母さんは私たちにすき焼きを作くってあげました。私の友達はお箸の持ち方はにくいだと思いました。でも、みんなさんは早く食べました。
私の十八才の誕生日は私の一番楽しかった一日です。私はビーチにねった、お金を取った、たくさんおいしい食べ物を食べた、マナティーと泳ぎました。

2009年10月16日金曜日

ミッシェル・プライスさん

アーティチョーク宮の心臓
    むかしむかし、おうじょがいました。そのおうじょのなまえはピーポッド姫です。ピーポッド姫は冷蔵庫の五階に住んでいました。これの冷蔵庫は大きいですから、一階にアーティチョーク宮は住んでいました。アーティチョーク宮はピーポッド姫はきれくてしんせつな姫だと思いました。でも、アーティチョーク宮はピーポッド姫にぜんぜん会いませんでした。
    アーティチョーク宮の二十才の誕生日に両親に「つまを探したい」と言っていました。おアーティチョークさまは「私たちはこの日を知って来る。それに、あなたの母と私は冷蔵庫の五階にいければいいのに。がんばって!」と言っていました。次の日、アーティチョーク宮は家を出ました。
    まず、アーティチョーク宮は二階に行きたい。でも、のぼりものがありません。つまようじではしごを作ることがようにした。アーティチョーク宮はのぼりやすいでした。でも、はしごは重すぎる、そして残しました。のぼった後で高いハム山を見ました。歩いていったから、悲しいにんじんを見ました。アーティチョーク宮は「すみません!にんじんさん!だいじょうぶ?」と言っていました。にんじんさんは「いいえ、私の友達ディップさんをどこか分からない。私は一人の友達しかない」と言っていました。「うそ!私は友達です。あなたといしょうに五階に行きましょうか。」と言っていました。にんじんさんは「困ったなあ。アーティチョーク宮は?ディップさんは?はい!行きましょう!」と言っていました。
    アーティチョーク宮と新しい友達は三階に行きました。アーティチョーク宮は短いので、にんじんの肩に立ちました。のぼった後で、立つ前に、悪のミルクとチーズはこげきしました。子供はミルクとチーズの方が野菜よりすきるので、ミルクとチーズは亜アーティチョーク宮とにんじんさんが大嫌いです。ミルクは近い歩きながら、にんじんさんはアーティチョーク宮ひろって走りました。大きいはこに後ろに待ちました。今に、にんじんはとても眠いでしたから、ここに寝ました。でも、ピーポッド姫をだと思うので、アーティチョーク宮はなかなか眠れませんでした。
    次の朝、「ドンドンドン」を聞けました。アーティチョーク宮は起きました。「にんじんさん!聞けました?あのはこのなかにいますよ!」と言っていました。はこのふたを取っていました。でも、今「ドンドンドン」を聞けない!ふいに、長いスパゲッティ麺を出っていました。あのスパゲッティは「おはいよう!」と言っていました。「ありがとうございます。二週前にあのはこに入れました。なんでもしてあげますよ。」アーティチョーク宮は「実際に、五階に行きたい、でも高すぎるなあ、とてものぼれない。」と言っていました。「つまり、私はここに五階までストレッチをした?私は冷蔵庫で一番長いスパゲッティです。」「はい。ありがとう。」といっていました。
    五階にピーポッド姫を探していました。知らない人に聞きました。「お姫様は今にルタバガさまとけっこんすることになったんだ。」といっていました。たいへんだ!悲しいアーティチョークさんとにんじんさんと家に帰ったほうがいいでした。でも、「ちょっと待って!アーティチョーク宮、ルダベガさまを結婚するしたくない。私の両親は結婚してさせます。」
    ピーポッド姫とアーティチョーク宮とにんじんさんといしょうに六階に行きました。

2009年10月14日水曜日

シャーリー・ユーさん

物語

百年前に、「ニューラン」という町に女の子がいました。桃子と家族が一緒に住みました。桃子は姉ちゃんと同じ学校に行きました。桃子は小学校三年生でした、姉ちゃんは五年生でした。桃子と姉ちゃんの性格は違うので、桃子は姉ちゃんを嫌いました。悪い関係でした。
週日、桃子と姉ちゃんは八時前に行きました。毎日七時起きる後、朝ご飯を食べました。それから、七時半くらい学校に行きました。姉ちゃんは毎日自分で起きるし、朝ご飯を食べるし、昼ご飯を学校に持って行きました。桃子はその大きい問題があった、でも桃子はその問題を問題と思いませんでした。それは大変です。
桃子は毎日起きてほしいじゃないです。遅く起きたので、朝ご飯を食べるの時間がありませんでした。それに、いつも教室に遅く着きました。授業中、隣のいい友達といつも話しました。時々先生を話すの時、空想をします。授業の後、時々公園に友達と遊びました。桃子は家に帰る後、ケーキを食べました。ケーキを食べた、寝いました。毎日午後三時間くらい寝います。仮眠で起きた、晩ご飯の時間です。家族と一緒に晩ご飯を食べて、テリビを見ました。そして、シャワーを浴びまし。最後に、また寝いました。桃子の欲しいことは寝ると食べるです。宿題を全然しないし、勉強もしません。小学校一年から、テストを全部落ちました。家事を手伝いません。夏休みな時、宿題をあるけど、最後の日宿題を全部したいでした。家族を桃子さんに手伝いました。桃子は何か分かりません。つまり、怠惰な子供です。
桃子の姉ちゃんは違います。姉ちゃんは自分のことが自分でします。七時起きました。そして母に朝ご飯を作って手伝いました。朝ご飯を食べる後、早く学校に行きました。授業の時、先生に聞って、問題を答えました。授業間に、休みの時間を十分があるだから、宿題をしました。授業後、姉ちゃんは時々図書館で友人と宿題をしるし、勉強をします。四時くらい家に帰るから、宿題を終った時母に晩ご飯を手伝います。晩ご飯を食べた、また勉強します。姉ちゃんはいい子供見たいです。いつも成績は高いです。どちら中学校に申し込みつもります。いい中学校に入れて欲しいだから、勉強をします。それから、いい 中学校は授業料を高いので、奨学金を必要です。
同じ両親は桃子と姉ちゃんに生まれました。しかし、とても違い性格があります。姉ちゃんは家族が全然心配為ません。しかし、桃子は家族がいつも心配します。「将来桃子はどんな人をなりますか」考えます。桃子は自分の将来を考えなければならないです。

2009年10月13日火曜日

フォンユー・ハンさん

 
太った姫の物語り
   昔々、とある深い森の中に、一つのお城が立っていました。そしてお城の真ん中に住んでいたのは、王室の国王と女王と百キログラムの姫でした。姫は絶対権利者である国王の一人娘なので、小さい頃からずっと甘やかされました。そのせいで、姫は不精になって、そして毎日沢山大好きな甘いものしか食べないことになったのは、誰も止められませんでした。豚のようになった姫は太りすぎて、皆に「太った姫」と呼ばれて、それに嫌われました。
   ある日、太った姫は川の近い場所でアフタヌーンティーを楽しんでいた時、白い馬に乗ってハンサムな男が森から飛んで来て、びっくりした太った姫の前で止まってしまいました。「やっと誰かを見つかった。俺は、クリス。マスと言う国の王子だ。狩りの途中、ちょっと道に迷ったんだ。もうすぐ夜だから、困っている。この国の国王と会いたいが、お城はどこだろうか。良ければ、道を教えてくれるかな。」王子はそう言ってから、笑いました。完璧な顔と完璧な笑顔、太った姫は白い馬に乗っていた素敵な王子の姿に一目惚れしました。
   あの夜、王子は城で泊まってから、次の日に帰りました。王子が見えない日々に、恋に落ちた太った姫にとっては病気のような辛いことでした。
大事な王子と再会のために、太った姫は勇気を出して、一人の旅をするのを決めてしまいました。自分の国から出て、姫は初めて自分の力で生きました。旅の途中、お金が全部払ってから、生きるのを大変になりました。時々太った姫は諦めたかったが、毎度諦める縁で目を閉じて、白馬に乗っている王子の姿が目に浮かんだと、また頑張る気がしました。王子のために、どんな辛かった時があっても、太った姫は我慢して、前に進んで行きました。平民の生活を経験して、毎日食べられるためにちゃんと働かなければならない太った姫は、少しずつ変わりました。太った姫は前の自分がわがままや自己中心などってことを気付いて、改良するようにしました。旅の間、心が優しくて、立派な女性になった太った姫は、初めて自分が生きていると楽しさを感じました。
   こうして、五年もかかっても、太った姫はやっと王子に住んでいる国に着きました。それで、王子の傍にいられるために、お城の女中として働きながら、王子との再会を待ちました。そうすると、「いつかきっと王子に会えるようになる」って、太った姫はそう信じていました。そして、あの日が思ったより早く来ました。ある日、太った姫は掃除していた時、王子は部屋に入りました。でもあの時、王子の前に立ったのは、もう出会いの時の太った姫じゃなくて、代わりに痩せていて、優しい美少女がいました。王子は一目で綺麗な姫を好きになりました、それから、やがて愛し合うようになりました。
   しかし王子と女中の恋愛は、許容できないことに決まっています。ところがそのことを聞いたこの国の王は、大変怒りました。国王は王子と姫を目の前に呼んでから、二人に「君たちは、自分の地位を考えて!恥を知れ!」と言いました。王子は、王の圧倒的な強さに従わないことができなくて、悩んでいた時、姫は話しを始めました。
   「王子様は覚えられないかもしれないけど、私は昔、王子様と会ったことがあります。実は、私は一国の姫なんです。王子様は、五年前に道に迷った時、私たちは私の国で出会いました。あの時から、私はずっと王子様のことが好きになったです。」姫、ゆっくりで、五年間のことを全部教えてあげました。王子が驚きすぎて、話せなませんでした。国王は姫の言葉を聞くと、感動して、そして口を開けました。「私は、王子から道に迷ったことについて聞いた。まさかあなたはあの太った姫なんだ。王子のため、国まで来るのは大変だっただろう。そんなに王子のことが大事にしているか。まあ、君は一応お姫だったから、結婚しても許すかな。」
   それから、王子と姫は結婚して、幸せに暮らしました。

ジェン・ティファニーさん

食べもの物語
   けさバナナさんが早く目を覚ましました。この日はバナナさんの一番わくわくした日です。この食事の時に,バナナさんとバナナさんの友人たちは、トム君という子供のおなかに行くことになりました。サラダランドで、この旅はめいよあることです。大きくなった時、サラダランドの食べ物はこの旅をすることになっています。今日はバナナさんとレタスさんとトマトさんの番です。
   サラダランドの隣にデザートランドがあります。デザートランドの食べ物はトム君のおなかに行きません。トム君のおなかに行く時、「母のきそく」という大きな門を通らなければなりません。そして、この門はデザートランドの食べ物がよくないと思っています。それで、デザートランドの食べ物はこの門をなかなか通りません。一人ではすごく行きにくいです。たくさんデザートランドの食べ物は旅をしないで、家で寝ます。
   しかし、デザートランドのアイスクリームさんは本当にこの旅をしたいと思っています。大事な夢です。毎日、アイスクリームさんは一人でしゅぎょうしています。それに、運動するから、アイスクリームさんのカルシウムが上がって、あじがよくなります。アイスクリームさんは、「僕はいい物になるから、大きな門が通れる」と思っています。
   ですから、バナナさんとレタスさんとトマトさんはさらという所に着いた時、アイスクリームさんも着きました。さらは旅の最初の出発点です。バナナさんとレタスさんとトマトさんはアイスクリームさんを見た時、「これはおかしい」と思いました。レタスさんはアイスクリームさんに「どうしてここにいるの」と聞きました。アイスクリームさんは「僕も旅をしたいから」と答えました。その時に、トマトさんは「でも、いっしょに行くから、トム君は私たちをはくよ」と言いました。アイスクリームさんはそれを聞いた時、悲しくなりました。バナナさんもアイスクリームさんの顔を見た時、悲しくなりました。バナナさんは本当にいい食べ物だから、バナナさんは「大丈夫、私はアイスクリームさんといっしょに行く」と言いました。レタスさんとトマトさんはそれを聞いた時、信じられませんでした。しかし、これは友人ののぞみです。それで、レタスさんとトマトさんは先に行きました。アイスクリームさんは本当にびっくりしました。「どうして僕と行くの」と聞きました。バナナさんは「アイスクリームさんはあまいから。私もあまいから、友達になれる」と言いました。アイスクリームさんはそれを聞いた時、すごくうれしくなりました。バナナさんはアイスクリームさんが作った始めての友達になりました。それから、一時間後、バナナさんとアイスクリームさんはいっしょに「母のきそく」を通って、トム君のおなかに行きました。

ジョナ・ウィルソンさん

一人で全部はよくになる
8年前小さい家男の子はインターネットで女の子に会いました。男の名前はジェイソンで女のはキームです。早く友達になって毎日コンプータか電話で話しました。ジェイソンはインディアナに住んでキームはイリノイに住んでいますが面と向かってで全然会った事がありません。たくさん時間かかってキームと男ジェイソンは毎日話しましたが会った事がありませんでした。今、ジェイソンとキームも車があるのにだれも訪問する事がありません。
キームとジェイソンの関係はちょっと複雑です。ジェイソンはキームが好きなのにキームは互いの感情がありません。実は、きームはアンディというボーイフレンドがいますがいつもジェイソンに不平を言うために電話します。ジェイソンはいつも「あなたが不幸であればアンディとわかればいいのに」といいますがキームは全然アドバイスを聞きません。
それでも、11月2009年にたくさん違いました。ジェイソンはキームに会うためにイリノイに行きました。この日には一緒にあまり時間をすごせません。でも、ジェイソンの旅行の理由はキームに会うだけです。12時にキームの家に着いてキームのケータイに電話しました。キームは驚いてドアを開けて外に歩きました。ジェイソンはキームの頬にキースをして抱き締めました。挨拶した後で一緒に近いレストランへ歩きました。歩きながら、何でもについて話してたくさん笑いました。それでも、キームはいつもアンディについて話してほしかった。ジェイソンはちょっといらいらしましたが何も言いませんでした。キームは「ヴィタべーラピーザ」というレストランでアルバイトをするので、このレストランへ行きました。食べながら、キームとジェイソンも自分の冬休みの予定について話しました。キームは冬休みにフロリダかカリフォルニアに行くつもりです。ジェイソンはちょっと羨ましがるになりました。ジェイソンは自分のアパートに一人ですむ事にしました。お金がないので春休みまでどこも行けません。ジェイソンとキームは食べたばかりアイスクリームを買いました。その後にキームの家に帰って歩きました。キームの家帰る時にキームはジェイソンに抱き締めました。キームがアンディの家行くためにジェイソンは早く行かなければならなかった。
ジェイソンは家に帰りながらたくさん考えました。「キームはアンディが絶対わかれりません。ほかの女がいるので、だれでもとデートをできます。今一人でうれしいので女が必要じゃないです。」キームとジェイソンの会ったの日からほかの話すことがありません。

サディー・スミスさん

あやまかされた王子
 多くの年前、大きい城で男の子が王と女王に生まれました。王と女王は後任者がほしかったので、すごくうれしくでした。王子はとてもあやまかされました。両親に何でもほしのことをもらいました。それから、おうじは使用人たちにいじわるだったし、りこてき(selfish)だったし、悪い人になりました。王のまほうつかい(sorcerer)はあたまがよくて少し変でした。王子の十九さいの時、まほうつかいは王子のことにとても困りました。まほうつかいは王子に教訓を教えるために、王子を小さい犬に変えました。まほうつかいは犬を連れていて、城の外で一人で出ました。
 おうじはとてもこわくて、さびしくでした。かなしかったですから、ずっと犬でいるだろうと思いました。王子は三日間ぐらい町の中で歩きました。お腹がすいたになった、もうつかれました。王子はあきらめることにしました。小さい家の前に寝ていったら、手が拾っているのをかんじました。王子はその人と話したいのに、ワンワンしか言えませんでした。次の日、目を覚ます時若い女性に会いました。その女性はきれいくて親切な人でしたが、びんぽ(poor)でした。女性はふつなので、王子は女性のことが大嫌いでした。
 一か月から、その女性が犬の世話をしました。毎日犬に食べ物をくれたり、犬と遊んだり、犬と色々なのことを話しました。若い女性は本当に犬が大好きでした。王子に、その女性が大事な人になりました。王子は女性がきれいくて頭がよくて親切な人だと思いました。若い女性はしんぼづよい(patient)にいることと働くのことを教えました。少しずつ王子は自分のくらし方が間違っていたと分かりました。王子はりこてきな考え方ではじていました(to be ashamed)。
 一日、王子は町で両親の見たことがありました。それから、王子は両親まで走して、「父」と「母」を言えました。でも、両親が「ワンワン」しか聞きませんでした。王子は「むだなですよ」と言えました。実は、王と女王はむす子のことを心配しました。王と女王は王子の帰ることがきぼうでした。まほうつかいが王と女王に「だいじょうぶ」を言えました。まほうつかいは将来を見たことが出来るので、王と女王がまほうつかいにしんじていました。
 まほうつかいは王子のはつかの誕生日に王子をさがしました。王子は教訓を習いましたですから、まほうつかいが王子を人間に変えました。王子はとてもびくりしていました。まず、大きい城に帰りました。両親に会いて自分の話を教えました。それから、その若い女性の小さい家に帰りました。若い女性はびくりしましたが、犬と王子さんが同じ人を分かりました。王子は「ありがとう」を言えました。とぜん、王子は女性のことが大好きだようになりました。それから、「僕と結婚して下さい」を言えました。

ニッキー・ラフューズさん

みにくい女の子
   むかしむかし、キャッスルの近くに美しい女の子を住んでいました。女の子の名前は「みやび」でした。女の子は美しく長い髪とかんぺきな顔がありましたが、せいかくがとても悪かったでした。つまり顔が美しいしかありませんでした。
  みやびはキャッスルの外に、とてもみにくい子供に会いました。みにくい子供は「あのう、すみませんが…」と言いました。みやびは変な顔をしました。「あなたが私に話していますか?」みやびはむかつくを見えました、「あっちへ行って!」手をふりました。
  みにくい子供はみやびににらみました。みにくい子供はピンクのけぶに消えてしまった。みやびはみにくい子供の声しか聞けませんでした。「みやびさん…」みやびは目をまばたいていました。「あなたがおそろしいせいかくがある!ゆえに、私はみやびさんにまほうをかける予定です。あなたがみにくいにとなります。しんせつにいれば、きれいになります。1、2、3…」3を言ったら、みやびの髪が短いになって顔がみにくいになりました。
  みやびは「きゃっ!」と言いました。「どうして?! 私はみにくいがいかんしたくない!」
  おだやかの声が「親切になったら、ふたたび美しくなります。」と答えました。
  みにくいのみやびが泣きました。「どうして!? どうして…困ったなあ!」
  「なきむし…」すべてが静かになりました。
   5時間後に、みやびは立っていました。「親切になることにした!」と言いました。
  まず、みにくいのみやびは町のこじいんにほうもんしました。みやびの見かけは女性こうちょうをこわがらせました。「何て!こった!」
  みやびが「女性こうちょう、ちょっとお願いがあるんですけど。」と言いました。
  「何でしょう。」
  「あのう、実はじゅうたくじじょうがちょっと悪いことなんですけど…」
  「へ?」
  「このこじいんにたくさん子供がありますので、せわをしにくいと思いますか。それゆえに、子供とたすけらせていただけないでしょうか。」
  「うーうん。だいじょうぶ…」
  それから、みやびがこじいんに子供がせわをしました。みやびは6ヵ月後に少しずつもっときれいになりました。
  子供はみやびに「お姉さん!寝ることは出来ません!」
  みやびは笑いましたで、子供の頭をなでました。「もっと早くねればいいのに。」その後、みやびの最後のにきびを消えてしまいました。子供が「ワッ!みやびお姉さんがとてもきれいになりました!」
  みやびは「まほうがこわれていましたかな…」と思いました。ためいきをついて言いました。「良かったなあ!」その後、みやびはこじいんで仕事をつづけましたで、誰も幸せでした。

ブライアン・オッテンさん

昔、ケンさんという男の子がいました。 ケンが生まれて育った町はフロと言いました。その町は一般的につまらなくて、楽しい人がいなかったです。それで、 彼は一人でいつも森で面白い物を探していました。 毎日、森で物を探していましたが、何も見つからず、家に帰って、がっかりしていました。 ケンのお父さんはケンのお母さんに、「どうしてケンは悲しいのかな。知っているのか。」と聞きました。 それに対してケンのお母さんは、「毎日ケンは森に行って、宝のようなものを探して、何も見つけられずに、ここに帰ってきますから、ずいぶん悲しくなるようですよ。」と答えました。 ケンのお父さんは変な顔をしながら、「あっ、そうか。 じゃあ、見違えた所を探しているというわけだね。」と言いました。
ケンのお父さんはケンの部屋でケンを見つけました。ケンは彼の部屋で座ってばかりで、悲しそうな顔をしていました。 ケンに「そんな顔をするのは止めてね、ケン。」と言いました。 ケンは「どうして。ぼくは毎日面白くて、いいものを探しているけど、何もなかなか見つけられなくて、とっても困っているんだ。」と答えました。ケンのお父さんは笑ってから、「そうなんだ。お前のお母さんによると、お前は宝を見つけたいようだね。」と言いました。 ケンはうなずいて、「うん、そうなんですけど、ちょっと面倒くさいんだよ」と答えました。 ケンのお父さんはうなずいて、「というのは、それは宝と言うものだから見つけにくいべきなんだよ」と言いました。 それで、ケンは、「どうすればいいんだろう。ぼくはよく分からないよ」と言いました。 ケンのお父さんは、「俺はお前のように若かった時に、お父さんは森の地図を見つけたよ。」と言いました。
ケンのお父さんが子供の時に彼のお父さんは古い地図を見つけました。 その地図がすごく大切なものでした。 それで、家に帰って初めてしたことはその地図をあの地図を隠すことでした。けれども、古くなった後には、彼は地図をどこに入れたか忘れてしまいました。ケンの祖父が死んだ後、ケンの父は地図を見つけられました。
ケンに地図について話した後で、ケンのお父さんはケンに地図をあげました。しかし、ケンがもらったその地図はとても古くて、それに本当にふくざつなようでした。ケンは自分に「これはとっても読めないなぁ」と言いました。ケンは彼のお父さんに地図をどう読めばいいかと聞きました。 ケンの父は「まず、こういうふうに地図を持って。それから、地図でお前の場所を見つけて。その後で、羅針盤を使いながら行き先に行くんだよ」と言いました。その後で、ケンは寝ました。
次の日、 ケンが目を覚ましたら、大雨が降っていました。 ケンは森に行くことが安全かどうか心配しました。 けれども、ケンは勇敢な男の子でしたから森に行くことにしました。森に行くのに、必要なものを持って下の部屋に行きました。お父さんを見つけました。 ケンはびっくりしました。 お父さんも森に行くのに必要なものを集めていました。 ケンは彼のお父さんに何をしているかと聞きました。 ケンのお父さんは、「父は息子を守ることになっているから、お前と一生に行くところだ。」 ケンもお父さんもケンのお母さんと別れて家を出ました。

ケイティー・プーンさん

「サツキとメイのその後」
  「サツキお姉ちゃんは私の世界で一番大好きな人。神さま、私からお姉ちゃんを取らないでください。」毎晩,7才のメイは草原に寝転がって神さまに祈っていました。
  サツキとメイは二人でペンギン村に住んでいました。お金がないので、メイが学校に行けるように、17才のサツキはお金持ちの花輪君の家で働かなければいけませんでした。毎日8時半にメイを学校に連れて行ってから、花輪君の家に行っていました。花輪君の家で子供の世話とトトロという猫の世話をすることと、ご飯を作ることでした。サツキはとても働き者で、きれいで、頭がいいので、みんなサツキが大好きでした。
  メイの誕生日の前の週、サツキは花輪君の家に泊まる二人の訪問客の接待をしなければいけないので、一週間、花輪君の家に泊まることになりました。そこでサツキは友達の静香ちゃんにメイを一週間預かってくれるようにたのみました。「メイの誕生日に、お姉ちゃんがケーキを必ず作ってあげるね。待っててね。」サツキは「バイバイ」と言った後で、花輪君の家に行きました。
  訪問客は国の重要な人か素敵で有名な人かもしれないと思うので、サツキは速く部屋をきれいに掃除しまいました。しかし、訪問客のニコチャン大王とめがねをかけているけらいは顔から手と足が生えていて、頭がしりという見たこともない生物で、サツキはびっくりしました。ニコチャン大王とそのけらいは自分たちのことを宇宙一ハンサムだと信じ込んでいましたから、もし誰かが二人の悪口を言ったら、その人を殺すかもしれませんでした。今回は、宇宙船の部品を買うために地球に来ました。ちょうど花輪君のおじいさんが経営している花輪グループはその部品を売っていました。
  一週間後、花輪の家に大王とけらいの送別会をして、ペンギン村の全員を招待されました。メイは誕生日に静香ちゃんからもらった青いドレスを着て来ました。花輪君の家に着いたばかり、「姉さん」を呼ぶながら、一人でサツキを探し始めました。しかし、この家は大きいすぎるので、彼女は迷ってしまいました。
  広い家の中を歩いていると突然、大王とけらいに遭遇しました。サツキもそこにいました。「お姉さん、見て見て!この二人は醜くて、気持ち悪い。」二人はそれを聞いた瞬間、怒ってしまいました。けらいはメイを殺すことが考えていましたが、大王は違いました。
  サツキはおびえ始めました。「大王さま、失礼しました。本当にゴメンナサイ。メイを殺されないでください。」
  「だめだ!私は本当に怒ってる。でも、もしサツキさんが僕たちと一緒に宇宙船で帰って、一か月間掃除をするなら、メイちゃんは殺さない。どうする。」
  「はい、わかりました。このパーティの後、一緒に行きます。」それから、泣いている妹を抱いてリビングルームに行きました。
  「メイ、泣かないで。見て、お姉さんケーキを作ったよ。お誕生日おめでとう。」
  「お姉さん、行かないで…」
  「だいじょうぶ、一か月後絶対帰ってくるね。これから、静香お姉ちゃんと聞いていい子で待ってるんだよ。」
  しかし、大王とけらいは掃除がかりが必要だったので、サツキに帰ってほしくありませんでした。宇宙船にザクロを食べたら、もう地球に帰れないという伝説があったので、けらいは色々な所でザクロを探しました。サツキが宇宙船に入ったらすぐにザクロを食べさせようと思っていました。
  もう一度「バイバイ」と言ってから、サツキは宇宙船に入りました。大王とけらいは優しいそうだったので、サツキは全然心配しませんでした。それから、けらいはザクロを持ってきました。サツキはお腹が空いたので、全部食べしまいました。その後、宇宙船の中でキタキタおやじというおじいさんに会いました。キタキタおやじは「何も知らずに、50年前にここでザクロを食べたから、宇宙船から出られなくなった。サツキさんも出られないかもしれない...」とサツキに教えてくれました。サツキの顔は蒼ざめていきました。
  「神さま、どうして私からお姉ちゃんを取ったの。お姉さん、今どこにいるの。早いく帰って来て。」毎晩,メイは草原に寝転がって神さまに祈っていました。しかし、メイは死ぬまで、お姉ちゃんに会うことはありませんでした。

ジャスティン・キッズマンさん

物語


今度の時、はりねずみがいました。そして、スペンサーといました。スペンサーはいい家に住んだ、たくさん友達がいった、何もいりませんでした。でも、スペンサーはとてもかなしかったです。スペンサーはガールフレンドはいないんでした。それに、見つけ方を知りませんでした。
今度、スペンサーは姉さんの友達に会いました。その時に、スペンサーはペネロピーという姉さんの友達が大好きになりました。でも、スペンサーはペネロピーと話してかけて出来ません。とてもこわいかったんです。
すぎの日にスペンサーはししの友達とせつめいしました。スペンサーは"女のと話し方を教えってくれない"と聞きました。バールタザーというししの友達は"大きて、強いです。スペンサーは強いようになる"と言いました。後で、スペンサーは強いを働いていました。
ペネロピーをいんしょうづけるために、スペンサーはみな友達をからかいました。ペネロピーはスペンサーと話させられませんでした。スペンサーが好きないんです。
スペンサーはとてもかなしかったです。何かをすることと知りませんでした。もう、友達と説明しました。でも、この時にワリーと言うワラビーの友達と話してかけました。もう一度スペンサーは"女のと話し方を教えってくれない"と聞きました。ワリーは"いつもほらをふく。スペンサーはほらをふってみたい。"と言いました。
すぎのにちに、スペンサーはほらをふっていました。とげを見せていました。でも、ペネロピーはスペンサーへみませんでした。
いまスペンサーはわびしかったです。スペンサーは一番頭がいい友達に会いました。フロイドと言うふくろうの友達と説明しました。もう一度スペンサーは"女のと話し方を教えってくれない"と聞きました。フロイドは"スペンサー、自分になってる。何かに働かないんで。ばかいないんで。"といいました。
スペンサーはまごまごでした。みなさんはスペンサーにすすめをしました。でも、何もにぜんぜん助けませんでした。スペンサーは思いなら、ペネロピーはスペンサーの家に来ました。そこに、ペネロピーはすぺんさーをみつけました。ペネロピーは"スペンサー、だいじょうぶの。病気の。"と聞きました。スペンサーは"あ、ペネロピー。いんしょうづけてほしい。でも、出来なかった。ごめん。"と言いました。ペネロピーは"どうして。スペンサーの自分がすき。いんしょうづけていらない。"と言いました。それから、ペネロピーとスペンサーがいい友達いました。それに、みなさんがうれしくいきっていました。

クリスティン・キムさん

へんなの廾戸
昔々、おじいさんとおばさんが小さい田舎にすみました。おじいさんは毎日山へ行って木を刻みました。おじいさんはもう70さいから、山に登ることはとても難しいになりました。おる日、おじいさんは山へのぼる時、廾戸を見えました。この廾戸の中には小さいな水がありました。おじいさんはとてものどが渇いているから、手を使って水をー回掬って飲みました。
“あ、おいしい!”
飲む後で、おじいさんは山にのぼて、木を刻みました。変でした。木を刻むことはぜんぜんむずかしくないでした。後で、おじいさんは家に帰りました。
“へええ、だれですか。どうして私の夫の服を着ますか。にげてください!”
“あれ、なに?私があなたの夫だ。”
“うるさい!私の夫はとても老人だから黒いのかみがありません。”
“へええ!”
おじいさんは早く風呂場に行ってミラーを見ました。おじいさんはぜんぜん老人じゃないでした。黒いのかみがあるししわがないし若者になりました。おじいさんは長い間かんがえしました。
“どうして、どうやって。その廾戸?しんじられない!”
おじいさんはおばあさんに説明した後でおばさんはおじいさんの話を信じるようになりました。翌日、おばあさんはおじいさんと山にのぼて、その廾戸に行きました。おばあさんは手を使って水をー回掬って飲みました。おかしいないしきがあるから、おばあさんは自分の姿を見ました。とてもきれいな女になりました。おばあさんも黒いのかみがあるししわがないし若者になりました。おじいさんとおばあさんはとてもうれしかったでした。
ある日、貪欲のおじいさんがこの話を聞きました。
“私もしたい!”
ですから、このおじいさんも山にのぼて、その廾戸を見ました。とても貪欲のおじいさんので、二回も掬って飲みました。

“あれ?”
自分の姿を見た時、赤ちゃんがいました。実はその廾戸の水を飲みたら、40年前に帰られます。ですから、貪欲のおじいさんは多い飲みましたから、赤ちゃんになりました。すぐ後で、おばあさんかその赤ちゃんを見えました。
“あ!かわいそうな赤ちゃん!これからあかちゃんは私のあかちゃんですよ。”
ですから、おばあさんがその貪欲のおじいさんをそば育いました。

クリビア・シンさん

母はどこへ
むかし、むかし、ミチコと言う少女が村に住んでいました。この少女はうつくしくて頭がいいでした。それにとてもやさしくて、みんな彼女が好きでした。でも、ミチコにはお母さんがいなかったです。それに身がたくさん痛いこともでした。あるの日、ミチコがお父さんに聞きました。
「ちち、とうしてわたしだけははがいなくて?」
「ミチコ、ははがないのではないよ。母はどこでもいるよ。」
「あっ!でも全部私のははだね!ははと話したい。」
ミチコは母の顔がとてもしりたかったです。それから、その晩、みちこは家を出始めました。
「どこに行くか分からない。。」
どこに行くか知らないでてくてく歩いていました。
「やあ、とても大きい雲だ!あのように大きい雲がたしかにははだろう。」
「あら、雲ちゃん、雲ちゃん、あなたは私の母だよ?」
「私はあなたのははではないよ。わたしは空を漂う雲だそうだ。一緒に旅行してくれない?」
「ありがとうごさいますが、私は母をさがしていますよ。母がとても見たくて。。」
ミチコはまたまた歩いていました。
「やあ、とてもきれいな花だ!あのようにきれいな花がたしかにははだろう。」
「あら、花姫、花姫、あなたは私の母だよ?」
「私はあなたのははではないよ。私は太陽を待つはなだそうだ。一緒に待ってもらえない?」
「ありがとうごさいますが、私は母をさがしていますよ。母がとても見たくて。。」
ミチコはまたまた歩いていました。
「やあ、とてもすてきな鹿だ!あのようにすてきな鹿がたしかにははだろう。」
「あら、鹿君、鹿君、あなたは私の母だよ?」
「私はあなたのははではないよ。私は草をはむ鹿だそうだ。一緒にはんでもらえない?」
「ありがとうごさいますが、私は母をさがしていますよ。母がとても見たくて。。」
ミチコはまたまた歩いていました。急に雪が降り始めました。
「やあ、とても白い雪様だ!あのように白い雪様がたしかにははだろう。ところでどうしてこんなに寒いでしょう。目がますます絡められるね。雪様、あなたは。。。」
目がするするとつぶっと、身が軽くなりました。そして雪が言いました。
「私はあなたの母ではないが母がどこにいるのか分かる。一緒に行きましょうか?」
「本当に?ええ、早く行こうよ!」そしてミチコは天国に上がりました。

ブリジット・コリンズさん

キミコひめとりゅうの玉
たくさん年前、マキチの王国でキミコひめは両親とフィーリックスと言うりすといっしょにしろに住んでいました。となりのタフナの王国に二年前にオチメンと言うりゅうがうたれました。次の二年まで、オチメンは山のどうくつに寝ました。でも、先月、オチメンはマキチのしろできて、゛キミコひめを食べたいよ。キミコひめをオレの山のどうくつに送らなければ、オレはこの小さい王国をうつ゛と言いました。それから、山のどうくつに帰りました。
娘のキミコが大好きだから、王と王妃はいやに悲しいでした。それでも、何かをしなければならないことを知るので、ハリソンと言うウイザードにアドバイスを聞きました。ハリソンはクリスタルボールを見て、゛キミコひめを送らなければなりません。それに、キミコひめは一人で行かなければなりません゛と悲しく言いました。なきながら、王妃は゛りゅうをころし方がありますか゛と聞きました。ハリソンはうなずいて、゛りゅうは玉があります。この玉はマジックをりゅうにあげます。玉をぬすんだら、オチメンは石になります゛と言いました。
それで、次の日、キミコひめとフィリックスはオチメンの山のどうくつにたびを始めました。キミコひめは゛あ、フィリックス君、あたしはオチメンで食べられたくないなあ゛とういました。フィリックスはキミコひめの手に座って、゛チュウチュウ゛と言いました。
山のどうくつに着く時、たくさん鬼がとびだしてきました。゛私達といっしょに来てなさい。オチメンと言うりゅうに連れていく゛と言いました。キミコひめはおじぎをして、鬼といっしょに歩きました。でも、フィリックスはキミコひめの手からにげました。キミコひめは゛フィリックス君、どこに行ってるの?゛と言って、ないてはじめました。鬼はオチメンのどうくつにキミコひめを取りのこしました。 キミコひめは、オチメンと言うりゅうがとてもみぐるしくて、くさかったと思いました。大きいりゅうは立って、なきごえしながら、キミコひめに歩きました。゛あ、美しいキミコひめです。今、オレはあなたを食べるよ゛と言いました。キミコひめはとてもこわかったが、にげてみません。むしろ、゛オチメンさまはあたしを食べたくない。オチメンさまの金の上で寝たい゛と言いました。こチメンは゛どうしてオレはそのをしたいか゛と聞きました。キミコひめは゛オチメンさまはまだタフナをうつのから眠いです゛と言いました。オチメンは゛でも、オレはタフナから二人ひめしか食べない゛と言いました。キミコひめは゛それで、あたしを食べる前に、ちょっと寝ればいいのに゛と言いました。
りゅうは取りきめて、金の上で寝ました。それから、フィリックスと言うりすがとびだしてきました。キミコひめはとてもうれしいけど、゛しずかにしてください、フィリックス君゛と言いました。フィリックスはチュウチュウして、金に走ます。キミコひめは金に行ったら、大きい玉を見ました。玉を取ったら、オチメンが石になりました。それから、フィリックスはかがやくなって、美しい男の人になりました。
フィリックスは゛ありがとうございます、キミコちゃん。ボクはタフナの王子だ。この玉はボクの家族のだ。りゅうがタフナに来た時、にげるについて、ボクはりすになったが、玉がないので、ボクは男の人になれない。今、オチメンは玉がないから、ボクは男の人になれて、ボクの王国を手伝うについて、玉を使える゛と言いました。キミコひめはとてもうれしくて、二人といっしょにマキチのしろに帰りました。
キミコひめは両親にりゅうと玉とフィリックスのことを説明しました。フィリックスはキミコひめの両親に゛すみませんが、キミコちゃんが大好きになっているから、娘を結婚していただけないでしょうか゛と聞きました。キミコひめの両親は゛はい゛と言って、キミコひめとフィリックスといっしょにうれしく住んでいました。

2009年9月13日日曜日

ティファニー・ジェンさん

夏休みについて

   この夏休みに、私は、色々な所に行きました。私はロンドンとニュー•ジーランドとルイジアナのニュー•オリンズに行きました。旅行するのは趣味なので、その休暇はとても楽しいでした。
   学期が終わった時、父とロンドンに行きました。ロンドンに行って初めてヨーロッパを見ました。ロンドンは二週間に泊まりました。父はコンフェレンスをしました。私は友達のためにロンドンに行きました。友達とたくさん観光をして、多い有名な所を見ました。たとえば、「ビグ•べん」という時計やロンドンのタワーを見ました。そして、ロンドンへ行ってから、多いイギリスの文化を知っているようになりました。ロンドンはおもしろい所だと思いま。しかし、空気が悪くて、人が多くて、みんなが忙しいから、とても住めないと思います。
   ロンドンに行った後で、二月間にニュー•ジーランドに行きました。家族がいるから、ウェリントンという町に行きました。ロンドンで遊んだばかりだから、ニュー•ジーランドで、ボランティアをすることになっています。それで、おばさんの大学のオフィスでボランティアをして、九歳の双子の従妹を看ました。ニュー•ジーランドの家に着いたら、従妹たちがほんっとにうれしいでした。毎日、従妹たちと遊んで、宿題をてつだいしました。時々、従妹たちに学校を連れて来て、映画館や図書館を連れて行きました。それから、従妹たちに少し教え方を教えました。たとえば、図書館で本のさがす方を教えました。ぜんたいてきに、私は、とても悪い時が出来ませんでした。実は、いつかウェリントンに住みたいと思います。
   夏休みに最後の行く所はルイジアナのニュー•オリンズでした。一週間に泊まりました。その町でSIGGRAPHというコンピュータ•グラフィックスのコンフェレンスがあるから、ボランティアをすることにしました。月曜日から金曜日まで六時間ぐらい働きました。時々、ひまな時がありました。その時に、観光したいでした。しかし、とても暑いから、夜までたくさん所に歩きにくいでした。たてものに出たら、たくさんあせをしました。気持ち悪いと思いました。春の時、天気はもっと住みやすいらしいです。
   この夏休みはとても忙しくて、つかれました。私はたくさん空港に行って、飛行機に乗りました。けれども、観光をして、大切な家族を見て、いい仕事をしました。それで、この夏休みはとてもおもしろいでした。

シャーリー・ユーさん

夏休み

   この夏休みは私が香港に帰りたかったです。しかし、お母さんは「だめ」と言いました。香港に行くことができなかったので、パデューにクラスを取りました。
   六月から八月まで、二ヶ月間毎日クラスに行きました。あの時、クラスに行ったばかりだから、時間がありませんでした。何も特別なことをありませんでした。パデューはとても面白くないので、ときどき教科書とノートを勉強するようになりました。さらに、毎晩早く寝るようになるので、毎日クラスに行きました。 この夏、パデューの友達と一緒に晩ご飯を作りました。うれしかったです。それから、いつもお母さんに電話をするようになりました。姉と姉の赤ちゃんの消息をお母さんに聞きました。
   私の姉の赤ちゃんは七月に生まれたので、ニューヨークに帰りたかったですが、帰れなかったです。「残念だなあ」と思いました。しかし、クラスを取ったので、クラスが終った後、帰りました。新学期前、十日間家に泊まりました。両親と姉さんの家族に会いました。赤ちゃんの名前はバラリーらしいです。皆は赤ちゃんをファーストネームで呼びます。しかし、私に「ビビ」とは呼びやすいので、バラリーが「ビビ」を呼びます。バラリーちゃんはとても可愛いですが、いつも泣きます。少し迷惑な感じがします。泣く時は、ミルクが欲しいことを知らせます。ミルクを飲んだ後、眠るようになります。眠る時は一番可愛いです。
   時々私はバラリーちゃんを世話するが手伝いました。バラリーちゃんはとても小さいなと思います。それから、皮膚は本当に赤くて、髪がたくさんあります。私はニューヨークに帰えっている間、めったに買い物に行きませんでした。いつもうちに泊まりました。姉は七月と八月に仕事をしませんでした。両親と私はバラリーちゃんを世話するが、姉さんはバラリーちゃんを世話して欲しくなかったらしいです。怠惰な姉だと思うので、姉を好きじゃないです。両親は仕事の後から夜中までバラリーちゃんを世話しています。その時、姉は休みじゃないが、電話をしたり、テレビを見たり、インターネットを使いました。
   その時、赤ちゃんを世話したのが初めてです。世話のし方を習うようになりました。赤ちゃんを世話しにくいです。写真をバラリーとたくさん撮りました。いい経験をさせてもらったと思います。やはり赤ちゃんを泣くない時はとても可愛いです。しかし、赤ちゃんはあまり泣きません。インターネットを使いました。

ジャスティン・キッズマンさん

   私の夏休みに、私はとてもいそがしいでした。毎日、仕事に行からればいけないで困りました。よく、ごごの七時に、"ベスト バイー"と言う私の仕事へ行きました。毎朝、三時間ぐらい会社の開く前に、たくさんコンピューターをなおしていました。その時にコンピューターを二ぐらいなおしました。
会社の開いた後で、客が多いいました。何度か客を十か二十はてつだいをいりました。そして、そこに私しかいませんでした。とても、たいへんでした。時々、客を三つてつだていました。
ひまな時があったら、どうりょうと話したり、コンピューターをなおしたりしました。私のどうりょうはとてもやさしくてたのしいでした。たとえば、仕事の後で、バファローワイアルドーウィングスと言うレストランへ一緒に行きました。そして、そこにじょうだんをいいたりビールをのんだりしました。また、私の上司は友達でした。それから、夜にぜんぜん働きませんでした。
   仕事の後で、私のガールフレンドに会いました。一緒に映画館へあまり行きませんでした。でも、レストランかアイスの店によく行きました。それ後で、私の家族とガールフレンドと私の家にテレビをみました。仕事に行かられるから、毎晩十一時ごろ寝ていました。
でも、今度私のガールフレンドの家族とホリデーワルドと言うゆうえんちに行きました。私のガールフレンドとたくさんローラーコースターに乗りました。そして、ファナルーケーキを食べました。その昼に、スプラシングサファリーと言うワーターパークで泳ぎました。スライドに乗って、ウェーブぷールーでおよぎました。その日はとても忙しくて、たのしいでした。
   私の夏はもとおもしろくないでした。よく働いていました。あまりあそびませんでした。でも、私の家族と私のガールフレンドといました。それから、うれしいです。

ブリジット・コリンさん

九月九日2009年(金)

   この夏休みは休みじゃない。大学に入って初めての夏の学期の授業を取るの時だった。先年の夏休み、両親といっしょうに住んでいったが、楽しくなかったので、あそこに住んでいたくなかった。せんこうがみっつあって、一学期を日本へ行きたいから、どうもとても四年に卒業しない。だから、夏の学期の授業を取ることにした。ボイフレーンドといっしょうに友達のアパートをサブリースして、そこに三か月に住んでいた。あのアパートに男の人と三人いっしょうに住んでいた。私達のガレートと言うの友達がテーラと言うの友達といっしょにフラターナチに住んでいたが、たたかいていたから、ガラート君が私のアパートに泊まってきた。あのアパートは人が多くなったなあ。
   取ったの授業はフィロソフィー 101とコミウニケーション114とソシオーロジ 367と言うの授業だった。夏の全部は、アルバイトを見つけてみたが、経済が悪くなったから、見つけにくかった。夏の終わりで、アルバイトがあるようになった。今、レニズというのレストランで働いているところだ。あのレストランでサンドウイッチを作る。とてもおいしいなあ。このアルバイトは楽しくないが、お金が要るので、毎日にいく。
   夏の中で、多いキングダムハーツと言うのテレビゲームを遊んだ。このゲームの話しはとても面白いなあ。ゲームが終わたら、泣いて、次ぎのゲームを買いていった。多いポケットモンスターと言うのゲームを遊んだ。夏の前に、新しいポケットモンスターゲムのことを聞いた。このゲームは前のゲームのリメークだから、とてもうれしくなかった。三か月にこの新しいゲームを待った。明日、日本に来ている。日本語のバージオンのゲームをインタネットに買いて、二か三か週にここにある。日本語であるから、ちょっと遊びにくいと思うなあ。でも、すべてを読んで見ることにした。
   じゃあ、おそくなったね。ねるのときだ。このブログはおわりだ。おやすみなさい。

ニッキー・ラフューズさん

去年、私はスウェーデンに留学しました。そこで友達と夏休みにロサンゼルスに行くことにしました。私は7月1日にロサンゼルスに着きました。オハイオから来ましたので時差ボケがありました。

ロサンゼルスの「LAX」と言うくうこうが大嫌い。くうこうが大きすぎます!ターミナルで迷ってしまった。

アイドルグループ「モーニング娘。」はロサンゼルスでコンサートをやっている予定ですから、私は友達とロサンゼルスに行きました。私は、8年前から、「モーニング娘。」のファンです。中学1年生からです。 だから、私は友達と国際ターミナルで待ちました。その他のファンは「Welcome to America Morning Musume」のサインを持ちました。日本人がおどろいたと思います。1時間後で、モーニング娘。が来ました!私達はモーニング娘に迎えました。私はスターストラックでした。

2日目、私は友達と「Guest of Honor」朝ご飯を行ってきました。私達のいくつかのVIPチケットを受け取りました。だから、私はモーニング娘。に会いました!とてもきれいなあ!私は15分ぐらいモーニング娘。にしゃべりました。ちょっと日本語を使いました。でも、私は1年にスウェーデンにいったから、たくさん日本語を忘れました。そして、私は日本語が下手になりましたから、日本語が話しにくいです。 でも、モーニング娘。の新垣里沙さんが「You know Japanese?! You're good!」と言いました。私は「まだまだです」と答えました。みなさんが紹介豊富をしました。私は黒いヘッドバンドをかぶりまして、道重さゆみさんが私に「かわいい!Cute!」と言いました。とてもびっくりしました!今でも、びっくりしました!

最後に彼がロサンゼルスに行きました。私達は韓国料理のレストランで初めてのデートでした。良いなあ!私は食べ過ぎましたのに、いい初めてのデートだと思います。

7月6日にオハイオ州に帰りました。

クリスティン・キムさん

夏休みについて

私は夏休みに友達とボストンに行きました。遅くて飛行機チケットを買いましたから、とても高いでした。でも、私たちは韓国人の家で民宿をしたら、安いでした。パーヂューからボストンまで三時間ぐらいかかいました。ボストンの飛行場に着いて、私の友達に会って民宿に行きました。とてもつかれたら、その晩早い寝ました。翌日、私たちは早いおきて,ハーバードに行きました。ハーバードを見ることは初めてですから、全部おもしろかったでした。有名な大学だから、たくさんの訪門者がいました。それから、ハーバードの有名な像、ハーバード像と写真を取ることはとても取れませんでした。でも、昼ごはんの時、みんな昼ごはんを食べらしいでしたから、写真を取れました。私たちも昼ごはんを食べたばかり、キャンパスに散歩しました。ハーバードの図書館に行きました。ハーバードの図書館は私の大学の図書館と同じことになっていましたけど、違いました。ハーバードの図書館に入たいから、学校のIDがいないなければいけません。すごいでした。私、私の大学も同じ規則をしればいいかなあと思いました。そして、本屋に行って、シャツを買いました。とても高いでした。ハーバードを出て、MITに行きました。MITでユニークなビルを見ましたけど、キャンパスはおもしろくなかったでした。晩御飯はダウンタウンに行って食べました。ボストンはシイジュウドがゆうめいですから、酒料理を食べました。そのレストランでAmerican Idolのサイモンを見ました。嬉しいかったですけど、レストラン中にカメラがたくさんありましたから、食べにくいでした。晩御飯後でボストン港へ行くことにしました。寒いかったけど、夜眺めはとてもきれいでした。ボストン旅行はとても短いでしたが、最も楽しかったでした。たくさん追憶を作って帰りました。もウー度行きたいんです。その時、ボイフランドと行きたいんです。

クリビア・シンさん

   面白い日本旅行

   この夏休みに私は弟と一緒に日本にいきました。一月前から、色々な事をじゅんびをしたと、知識や地図を調べました。東京に行きたいんだけど、昔の首都から、結局、京都など関西地方に行くことになりました。旅館とホテルのどちらの方がいいとかも弟とさがしたら、旅館がビジニスホテルよりとても高いらしいでした。それで、三泊四日京都にあるビジニスホテルに泊まる予定しました。熊本に行くことがあるんだ毛と、関西地方のは初めでした。
   一番目の日。一時ぐらいまで関西空港に到着しました。一時間ぐらい地下鉄に乗って、大阪の北地方を降りました。私立ちは「関西スルットパス」言うチケットを買ったら関西のどこでも大丈夫でした。ホテルにチェックインをして、京都を向かいました。そこで、西本願寺に見物しました。京都博物館も行ったが、残念なことには休館中でした。とても悲しいでした。
   二番目の日。朝早くいきていそいそと「有馬温泉」と言う有名な温泉を向かいました。金の湯の水は本当に金色でした。その後で、古部に行きました。古部は有名な港町だったら、クルーズと会場公園と色々なきれい店を見えました。クルーズに一時間ぐらいのって、「モザイク」と言うショッピングセンタを見回した。とても小さいときれいな物がたくさんあるので、全部買いたいでした。
   三番目の日。大阪のあたりの見ることになりました。大阪城に行く間、朝日新聞の会社も通り過ぎました。大阪城の外は古い面影だったら、中は豊臣秀吉の歴史博物館でした。午後には、なんばとみなみのショッピング通りで家族と友達のおくりものを買いました。
   四番目の日。ひこうきが午前に出発したから、ぜんぜん何もしませんでした。残り多いと、もう日本に泊まろうと思いました。この旅行はとても面白いでした。特に気に入ることは、おいしいたこ焼きとお好み焼きと親切な日本人です。行く方問うて、みんなはした仕事を止めて、手伝いました。日本がもう懐かしいです。(

ブライアン・オッテンさん

私の夏休み

   私の夏休みはかなり忙しかったと思います。 夏休みの前に、アルバイトを探していましたが、そのときにアルバイトを見つけるのは本当に難しかったです。 まずに、ベストバイという店に、アルバイトを探していて見ました。コンピュータや電気が好きなので、そんなアルバイトが好きなそうだと思っていました。 けれども、あそこに勤めることになりませんでした。私は困っていたので、ほかのことをすることにしました。
五月末には、私の母と姉はノースカロライナに行くところだと言ってました。 その時に、私はまだアルバイトを探していたので、少しいストレスがあって、ノースカロライナに行きたいかとか分かりませんでした。 旅行について、家族と話しかけました。それから、私はノースカロライナに行くことになりました。毎年、ノースカロライナに行く人が多いので、楽しいらしいです。 
インディアナからあそこまでは車で長い時間です。十二時間ぐらいかかるので、ドライブは詰まらなくように成れます。 自分に「一人でここからあそこまで運転をとても出来ないなぁ」と言っていました。 しかし、私の母も母の婿も運転をしたので、あそこに行くのはあまり難しくなかったです。
あそこに着いた時に、びっくりしました。私たちが泊まった家は本当に大きかったからです。あの家は四階がありました。あそこにいる間にたくさん面白い事をしました。もちろん、私はたくさん食べたり、海で泳いだり、家族と遊んだりしました。 けれども、まだ日本語を勉強したかったんですから、それもしました。 夏休み中、日本語301の教科書を買ってからノースカロライナにもって行きました。 ノースカロライナに行って初めて、灯台を見ました。 灯台の上に行く前に、雨が降りそうだったが、私の姉と姉の彼氏は上に行きたかったので、上に行くことに決めました。灯台に勤める人は雷を聞けば、灯台を出ることになっていると言いました。 灯台に入って、上に行って、風がずいぶん風いていたのでちょっと危なそうだったと思いました。風は本当に強かったからです。雷を聞いたら、すぐに下に行って、灯台を出たら、ザーザーブリ が降りました。それは面白いことでした。
あそこにいる間に、インディアナにアルバイトを見つけました。お金が必要だったので、とっても嬉しくなりました。十日間後、インディアナに帰って、働き始めて、日本語の勉強しました。また、私の友達のひろしに日本語のカジュアル言葉の使い方を教えてくれました。そして、学校がまた始まったばかりで、もう別のアルバイトを見つけました。

ジョナ・ウィルソンさん

私の夏休み

私の夏休みはよかったがちょっとうつまらなかった。何も楽しい事をしませんでしたそうです。私の姉の家で泊まってアルバイトを見つけることになっているのに見つけませんでした。一番楽しいしたことが私の誕生日のパーティーでした。誕生日は五月十六日です。この日に「BD’Sモンゴリアンバーベーキュウ」という所で食べました。私の兄弟は四人です。私と兄と姉と妹です。兄弟たちは来ました。また、私の兄と姉の配偶者も来て私の友達は五人来ました。モンゴリアンバーベーキュウはビュッフェです。何でも食べたい肉があったのでもっといいビュッフェをとても見つけない。食べるところ時に三つ段階があります。一番段階は肉を選ぶ事です。BD’Sの肉は鶏肉やラム肉や小海老です。二番段階は野菜選ぶ事です。色々な野菜があってたくさん見たのは初めてです。それから、三番段階は油を選ぶ事です。その後でグリルに行ってシェフに出して待たなければいけない。私は待っていながら、一番目合法ビールを飲みました。私たちは食べたばかり時に私と友達も兄のアパートに行って姉と妹も家に帰りました。
兄のアパートに着く前に酒店にいきました。酒店中に付添い人の前に防弾ガラスがあったら、おどろいました。酒店を出た後で兄のアパートに行きました。兄の友達はアパートに行ってみんなさんが飲みました。私の友達は朝の一時半ごろに出て私と兄と兄の友達も「ステーキアンドシェック」というレストランで食べました。このレストランで食べている時は三時ごろでした。それから、兄のアパートへ帰って私はソファで寝ました。
私はいつも早く起きるので一番起きた人で困っていました。早く起きると、話すと人はだれもがいなかったので、悪いテレビを見ました。この誕生日は決まり文句だったが、とても楽しかった。

フォンユー・ハンさん

私の夏休み

今年の夏休みは私にとって、特別で、一生忘れない夏休みでした。色々な「初めて」を経験しましたので。初めて友達と台湾一周の旅をしたり、初めてホテルでインターンシップをしたり、そして初めて自分の力で面接に合格してアルバイトをしたりしました。一番印象的なのは、多分メイド喫茶でのアルバイトでした。

私がアルバイトをしたメイド喫茶は秋葉原系で、概念は、お客さんはご主人様で、メイドは目下です。店に来る時、お客さんにマンションに帰る感じを上げないといけません。その為に、お客さんは店に入ると、メイドが迎えに行く時、「いらっしゃいませ」じゃなくて、「お帰りなさいませ、ご主人様・お嬢様」と言ってから、御辞儀をするのは絶対です。相対に、お客さんは店を出る時言ってのは、「行ってらっしゃいませ、ご主人様・お嬢様」です。しかし、出るの場合は、少しだけ自己の個人特色を表現してもいいんです。例えば、「気をつけってねぇ!」とか自分の特色を足す言葉です。勿論、御辞儀をするのも必要です。

昔、私は友達と行った事がありましたが、「メイド喫茶は不思議だなあ」と思って行っただけで、そこでアルバイトをするのは一度も考えませんでした。しかし今年、インターンシップがまだ見つけられない一晩、御宅でいるの友達と喋る時、友達は半分冗談で「メイド喫茶でアルバイトをやったら?」と言いました。それで、暇過ぎるせいか、私は本当に友達の言葉を聞いてしまって、履歴書を送りました。

メイドを選ぶ過程は、結構厳しいでした。まず、履歴書と写真をメールで「執事」と言う人に送ってから、二週間までに待ちます。二週間の間に面接の通知がなければ、落選と言う事です。実は、変な仕事だと思うだし、お客さんを「ご主人様」って偽りの声で呼びたくないし、私はもし面接の通知が来れば行くかどうか悩んでいました。でもそれは余分でした。母に「通知が来たよ」と言ったら、「行くか行かないかどうでもいい、面接の経験は大切です」って理由で母に行かされました。

最初、誰もメイドに成りたくないんじゃないかと思ったので、楽勝だと思いましたが、面接のために店に入ったら、可愛い女の子が満々でした。面接をしに来た人は全部で30人だそうでしたが、メイド喫茶はただ三名のメイドを募集していました。面接が二段ありました。一段は執事が行なって、終わった時六人しか残っていませんでした。次は店の所有者、「旦那様」、が行ないました。どのような問題を聞くかしらと思いながら、旦那様が喋りました。「最近見たのアニメは何でしょうか。」
一ヶ月の間にアニメは全然見なかったので、緊張して頭は空白になってしまって、何も考えなくて「悪戯なキス」って旧いアニメと答えました。でも言ったの瞬間後悔しました。更に男が好きな漫画や今流行している作品などと答えたらよかったと思いました。そのような答えを聞いたと、旦那様が沈黙に成りました。五秒ぐらいの沈黙。そして、賛成の頷く、「そう!悪戯なキスはクラッシクですもんなあ!」こうして、私は最後に決めた三人の一人になりました。面接の前に、日本人のお客さんが30%ぐらいと聞いたので、敬語と尊敬語を勉強しておきました。態々日本語を復習したのに、使うチャンスが全然ありませんでした。一生懸命勉強した私は馬鹿でした。

そして、私は「優香」って名前を使って、アルバイトを始まりました。メイドは思ったより成り難い。お客さんを「ご主人様」って呼んでのは意外に難しいでした。それに、自分の事を「私」って言ってのは駄目で、いつでも自分の事を優香って呼びます。限りが沢山あって、話す前に頭の中でチェックするのは大切でした。短い間にメニューを全部覚えなければならない事も挑戦でした。そして、せっかくメニューを覚えた時、新しいメニューに変えました。お客さんにメニューを説明するのも難しいでした。頑張って練習しましたが、それにしてもお客さんの前に、やはり緊張で、上手く言えませんでした。その上に、多くの友達は私を見るために店に来ました。来る前に、何度も「笑わないで」と言っても、友達が来る時、必ず友達に笑われます。こんな時に、恥ずかしいと思いました。

好きじゃない所があっても、基本的に、比べたら、楽しい部分がもっと多いでした。ご主人様との交換日記をチェックと書くのもメイドの仕事の一部です。時々自分についてのコメントを見つかって、読むのは楽しいでした。そして、さすがにメイド喫茶。店に来る御宅がよほど多くて、メイドの皆もアニメ知識が豊富で、コスプレをしていて、私にとって、この稀な経験がとても新鮮だと思いました。、皆は日本の文化やアニメなど愛しているので、ここで集まりました。私も皆の情熱を感じていて、それに徐々にこの特別な文化が好きになりました。

最初、行くつもりはありませんでしたが、今考えれば、行った良かったです。色々な事を経験したり、友達を作ったり、成長したりしました。今年、充実の夏休みを過ごしました。

ミッシェル・プライスさん

私の夏休み

   私は夏休みに日本に行きました。私の家族は東京に品川に住んでいるので、毎夏休みに日本に行きます。飛行機の中にいった時間は長いのに、たのしいでした。飛行機にのる時に映画を見たり、スナックを食べたりしました。五月二十二日に成田に到着しました。でも、飛行機におりる前には十人ぐらいは飛行機にのりました。「豚インフルエンザ」なので、その男性は青いぼうごう服をきて、マスクをかけていました。その後で、空港に入って私の家族と会いました。
   日本にいる時にたくさん日本料理をたべました。さんじゃまつりに小さいたこ焼きは初め食べました。バスケットにあるたこはかわいいなので、小さいたこ焼きは食べにくい。けれども、たこのスタンドのとなりはお好み焼きスタンドです。私はお好み焼きが大好きです。その間に焼きそばとクレープも食べました。日本に五月にちょっとむし暑いです。でも、暑いだたら、たくさん日本人はゆかたをきました。私は二十五度だたら、ゆかたをとても着られません。
次の週に私の子供の時の友達に渋谷に会いました。まず、おもしろいレストランにかにのスパゲッティを食べに行きました。私たちはおなかがいっぱいだた後で、六本木に行きたいでした。でも、渋谷から六本木までは遠いから、歩きたくない。六本木のセガという所にプリクラをしました。プリクラをする時にたくさん日本学生はセガに入りました。その学生は私たちとプリクラをしたい!後で、学生と英語で話したら、十六才だけ、上手でした。
   けれども、五月の終わりに来ました。アメリカに帰る前に私と私の家族はしゃぶしゃぶのレストランに行きました。毎夏にしゃぶしゃぶレストランに行きます。でも、私は肉がまあまあ好きですから、私の妹は肉が大好きです。けれども、しゃぶしゃぶは野菜とめんるいがあります。私は大丈夫です。その晩ににずくるをしました。たくさん物を買ったので、私のスーツケースはとても思ってまずいでした。今、日本へいってから、お寿司が好きようになりました。私のルームメートと毎週にまる寿司というレストランに行くことにしました。

セイディー・スミスさん

私の夏休み

  私の夏休みはとても忙しいでしたが、楽しかったでした。ます、私の家に帰りました。五月から六月三日まで毎日私の家族と色々な物をしました。次に、歯科医のオフィスに行って、私の歯を四つ引られました。その後で、二日ぐらいかたい食べ物を食べにくいでした。今年の夏休みには雨がたくさん降りました。変な天気があるので、外で時間をあまり過ごしませんでした。それでは、日本と韓国のドラマを見ました。私は日本の文化を習うために、ドラマの見たことが大好きです。それから、六月三日にはウェストラフィエットに帰りました。
  実は、これから私の夏休みは休まないんじゃないかと思います。私はパーデユー大学で統計学とコンピュータのクラスを取りました。統計学の授業と宿題はつまらないでした。統計学はとてもかんたんでしたが、私はそのクラスをきらいでした。コンピュータクラスの先生は面白いい位先生でした。コンピュータを取ってから、ジャバと言うコンピュータのプログラムに興味を持つようになりました。ジャバのコンピュータプロジェクトの中でとても大事なことが有っただけど、プロジェクトが少し難しいでした。今、ジャバにはよくなったので、自分のやさしいコンピュータのプログラムを作ることが出来ます。私は夏のクラスに先生にいい成績をもらったですから、とても嬉しいでした。
  私は夏休みにウェストラフィエットに少し楽しいことをしました。パーデユー大学ではスイングダンスと言うクラブがあります。私は二年間ぐらいスイングダンスのクラブのメンバーがいました。夏休みに毎週の水曜日にレッソンを取ってダンスもしました。次に、私は最期の学期からふとっていましたから、育館で運動することにしました。毎週三度友達と体育館に行きました。もう、テレビのプログラムを見すぎました。二回週末には私のボーイフレンドの家に行きました。一緒にボーイフレンドの犬と遊びたりディースクゴルフと言うゲムをしたり映画を見ました。私はディースクゴルフが大好きですから、自分のディースクを買うつもりです。私はボーイフレンドの家族とミシガンみずうみでふね「boat」に乗りました。私はミシガンみずうみに行って初めて、ふね「boat」に乗りました。ふねに乗ることがとても楽しいと思います。でも、ふねのじゅんびするためにボーイフレンドの家族は働きました。その後で、ウェストラフィエットに帰りました。私の夏休みは終わったいました。

ケイティー・プーンさん

  いつものように、春学期が終わると、香港の家に帰りました。しかし、この夏休みは以前の夏休みより楽しかったです。
  六月中旬、私のアメリカでコンファレンスに出席している友達の虹姉さんから電子メールをもらいました。虹姉さんは仕事を手伝ってくれる人を探していました。ですから、私に聞きました。インターネットでパデゥー大学の授業を二つ取っていましたが、このインターンシップはおもしろくて、有意義な経験になると思いましたから、七月から虹姉さんの会社に働くことにしました。
  この会社は保険会社です。虹姉さんの勤めている所はファイナンシャルプランニング部です。インターンシップをしたら、卒業後この会社に入りやすいと言われましたけど、来年卒業後で、この会社の数理部に入りたいです。
  インターンシップが始まってからは、毎日午前八時から午後六時まで会社にいました。しかし、時々仕事が多いので、七時半まで会社にいました。毎朝同僚と一緒に三十分間の会議に出席しなければなりませんでした、その後、虹姉さんのお客様や、面接したい人、大学のキャリア部の主任に電話を掛けるか電子メールを送らなければいけませんでした。さらに、虹姉さんの個人のウェブサイトを始めて作ってみました。私はコンピュータにあまり詳しくないので、このプロジェクトはちょっと大変でしたけど、とてもやりがいのあるプロジェクトでした。
  仕事から離れて、家族九人とマカオに一泊泊まってきました。マカオには香港から一時間船に乗って行くことが出来るので、とても便利です。友達からもらったカメラを持って、マカオに行きました。きれいな写真をたくさん撮りました。いい写真は撮りにくいと思いますから、まだ練習しています。
  1999年以前は、マカオはポルトガルに統治されていました。ですから、特別な建物がたくさんあります。十年ぐらい前は、観光客が少なかったけれども、今はどこにも観光客がいてびっくりしました。その原因は、近年カジノが多くなったせいかもしれません。マカオの物価は香港より安いので、私たちは安く様々な料理をたくさん食べられて、おかしも買えました。旅行はとても楽しかったです。
  この夏休みはインターンシップと旅行でとても有意義で素晴らしいものになりました