2009年12月14日月曜日

遷延性植物状態患者の栄養補給の中止

   遷延性意識障害の定義は、日本脳神経外科科学会によると、「(1)自力移動ができない、(2)自力摂食ができない、(3)糞尿失禁、(4)意味がある発語ができない、(5)物を見ても認識できない、(6)簡単な命令に答えて意思疎通ができない」と言う以上六点であります。もしこの六点が三ヶ月以上続く場合、「植物状態」になります。そして、植物状態は一年続くと、「遷延性植物状態」と診断されます。簡単に言えば、遷延性植物状態は命を維持する脳細胞以外の細胞が大体死んで、命を維持する脳細胞しか残っていないと言う事です。植物状態患者は自分でをすることとかは出来ますが、生命維持ための医療機器や栄養補給などが要ります。

   遷延性植物状態患者の栄養補給の中止は倫理的問題になる三つの主要な理由は、まず、不可逆性か可逆性かを断言できない上に、治療の方法がまだ見つけられていません。米国の遅延性植物状態に関する多学会特別委員会は、「植物状態患者がもし一年後、まだ意識回復の兆候が全然見えないなら、回復率はゼロに近い」と発表しましたが、そうかと言って必ずしも回復する可能性がないと言うわけではありません。次に、生きているのと死んでいるの定義は、人によって違います。そして最後に、命はかけがえのないものであるということです。命がかけがえのないものであるため、安楽死を行うかどうかは、慎重に決めるべきです。普通はなるべく患者の自己決定権(リビング・ウィル)を尊重しますが、遷延性植物状態患者は意識がないので、患者の意見を聞くことができません。以上の理由で、栄養補給の中止か続行かの決定はものすごく難しいものです。私は、遷延性植物状態患者は生きていない、そして家族や病院に迷惑がかかるという二つの理由で、遷延性植物状態患者の栄養補給中止に賛成します。

   まず、遷延性植物状態の患者が生きているか生きていないかは、論争の余地があります。栄養補給の中止に反対する人が、よく植物状態患者の栄養補給の中止は人を殺す事だと主張して、そして心配しています。例えば遺産の為に、家族はわざと遷延性植物状態患者になった人の栄養補給を中止したら、本当の動機を隠されることが出来る上に、人を殺す理由は正当化になります。交通事故のせいで植物状態患者になった例が多いので、確か心配する必要があります。それに、心臓の機能とか生き物の特性がある理由で、植物状態の患者は生きていると思う人にとって、栄養補給を中止するのは人を殺すのと同じことです。でも、どんな理由であっても、遷延性植物状態の患者が生きていることを証明できないなら、栄養補給中止が人を殺すことと同じという理論が成立しません。

   私は、植物状態の患者は生きていないと思います。「近代哲学の父」と呼ばれた哲学者ルネ・デカルトが存在について話していた時、「我思う、ゆえに我あり」と言ったそうです。つまり、人は考えられるので、存在すると考えれば、逆に、考えられないなら、存在していないと言うことじゃないでしょうか。この場合、存在していると言うことが生きていることだと解釈すると、植物状態患者は意識がないので、生きていない結論に達します。だから、生きていない人を殺すことは出来ません。

   次に,家族と病院に迷惑がかかる点についてですが、植物状態の患者は生命維持のための医療機器や栄養補給などが必要です。それに患者の余命年数も長いかもしれないので、莫大な費用がかかる可能性があります。これは家族への大きな負担になります。また病院には、医療資源の問題があります。資源は有限なので、病院は限りある資源を実用的用途に使うべきです。もし患者の回復率が高いなら、沢山お金を払っても、沢山の資源を使ってもいいと思うのですが、遷延性植物状態の患者の回復率がゼロぐらいなら、お金や医療資源をなるべく助かる人に使えばもっといいのではないでしょうか。

以上の二つ理由で、私は遷延性植物状態の患者の栄養補給中止に賛成します

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